「ハンカチ世代」が抱く田中将大への憧れ
同世代で真っ先に名を挙げたのは前田だった。PL学園時代の04年。1983年から清原和博との「KKコンビ」で高校野球界を席巻した桑田真澄以来となる1年生として甲子園の先発マウンドに立ち、注目を浴びた。
その翌年、駒大苫小牧の主戦ピッチャーとして頭角を現したのが田中である。2年生ながら夏の甲子園制覇の原動力となり、06年には「目玉」として高校生ドラフトで4球団による強豪の末、楽天に1巡目で入団した。
広島から単独1巡目指名の評価を受けた前田ですら、田中の実力を認めるほどだった。
「僕らの世代は田中が牽引しているんで。彼が1年目からあれだけの成績を残したことで、『俺も!』と思えたんで。同級生にこんだけすごい選手がいて、力になります」
楽天で1年目から背番号「18」を背負った田中は、常に「世代の顔」だった。1年目から11勝を挙げ新人王。2年目にも9勝、3年目以降は5年連続で2桁勝利をマークした。
特に13年は、今も「伝説」として語り継がれているほどだ。シーズン24勝無敗。球団初の日本一を懸けた巨人との日本シリーズ第7戦の最終回に登板し、勝どきの咆哮を上げた姿は、色褪せることのないプロ野球史に残る名場面である。
翌年の14年に海を渡ってからも、田中は世代の顔として旗を振った。メジャーリーグトップのワールドシリーズ優勝27回を誇る名門、ヤンキースで1年目から6年連続で2桁勝利。7年間で78勝という実績をひっさげ、21年に楽天復帰を果たしたことに野球界が熱狂した。
現役バリバリのメジャーリーガー。最盛期を迎えていた田中も、楽天復帰の入団会見で矜持を示していたほどである。
「キャリアの晩年ではなく、いいタイミングで日本に、楽天イーグルスに帰ってきてバリバリと投げたいな、という想いはありました」
日本で残した伝説。世界最高峰のメジャーで、しかも名門と呼ばれるチームの主力として、手厳しいファンを納得させ続けてきた。誰もが「またやってくれるだろう」と、圧倒的なパフォーマンスを思い描く。再び「楽天の背番号18」を付けることとなった田中は、期待を一身に背負うように言った。
「日本では2013年でみなさんの印象が止まっていると思うので、すごく求められるハードルが高いことはわかっています。それもまた『飛び越えてやろう』というところもやりがいのひとつとして、チームに勝利をもたらす投球ができればいいな、と思います」
楽天復帰1年目の21年シーズン。田中はメジャーで培った、バッターのベルトやや高めにストレートを投げフライで打ち取るといった巧みな投球術を含め、データから裏打ちされた幅広いピッチングを披露した。
先発ピッチャーとしてもローテーションを守ったが4勝9敗と成績は伴わず、それは2年目以降も続いた。4年間で20勝。24年はシーズンの大半を二軍で過ごし、一軍での登板は終盤の1試合のみに終わった。













