医師による余命告知の是非

がん検診による早期発見やワクチンなどの予防法があると言われても、すい臓がんのように早期発見しにくいがんもありますし、治療成績のよくないがんがあるのは事実です。

心の準備もなく、いきなり治る見込みのないがんだと告げられたら、あなたはどうしますか?

進行がんで治る見込みがないと告げられると、余命を知りたいという患者さんがいます。患者さんの家族が知りたいという場合もあります。

私は余命告知をしないことにしています。養老先生が余命告知に関して、『養老先生、再び病院へ行く』の中で「医者は占い師だからね。当たっても外れても責任をとらなくてよい」と言っていました。

この言葉は余命告知のテキトーさをよく言い当てていると思います。余命が外れても医師は責任を問われないので、平気で言うことができるのでしょう。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
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逆に、進行がんの患者さんに余命告知すると、ショックを受けて、心を病んでしまう患者さんもいます。

がん治療は進化しているので、今では転移があっても、3~5年くらいは延命できるのが普通になっています。がんが転移しているからといって、安易に余命告知すべきではありません。

小細胞肺がんでも、5年延命できたケースがありますし、先のことが医者にわかるはずもありません。

そうは言っても、治せないがんの場合、少しずつ死に向かっていくことは事実です。今まで自分の死を考えてこなかった人にとっては、まさに青天の霹靂で、耐えがたいことかもしれません。

進行がんで治せないと告げられても、年単位、場合によっては2年以上の時間がありますから、心の準備をする時間は十分あると言えます。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
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私たちはともすると、生を1、死を0(ゼロ)と考えがちです。コンピューター、すなわちデジタルな思考では、何事も1か0のどちらかしかありません。

これに対して、養老先生がおもしろいことを言っていました。先生は87歳ですから、若い人に比べたら年齢的に死に近づいています。今の養老先生は0.1くらいで、0.9は死んでいるけど、0.1は生きていると言うのです。

1か0で考える人は、1であり続けることが関心事になります。その人にとっては、いかに生きるかではなく、いかに死なないかが重要なのです。

進行がんの患者さんで、つらい抗がん剤を続けながら、腫瘍マーカーの数値に一喜一憂する人がいるのですが、こういうタイプの人は、人生をデジタル思考で考えているのかもしれません。

心筋梗塞などで起こる突然死は、今まで1だった人が、突然0になるわけですが、がんはそうではありません。

0になるまでの時間が与えられていると考えてみてはいかがでしょう。その時間にやれることがあるはずです。

0になることを恐れて、1に何とか踏みとどまろうとする思考法では、その時間は豊かなものにはならないでしょう。