否定したくないという話なのか
杉田 今のお話、男子学生に関してはわかりやすいと思うんです。細かい論点はいろいろありますが、基本的には自分がしごかれたり、死ぬ気でやれみたいに言われるのは嫌だっていう感じですよね。
それに対して、女子学生たちの心理はどういうものなんでしょうか。ハラスメントや性差別はもちろん嫌だけど、体育会系の部活やしごきに関してはいい思い出であり、それは否定したくないという話なのか、何かまたそれとも別の話なんでしょうか。
天野 今の時代は、ちょっと頭をポンとされたくらいでも、暴力やセクシュアルハラスメントとして問題視されるケースが増えており、男女問わず身体接触にはより慎重になっています。
しかし、教育現場では、大人と子どもの権力非対称性も手伝って学校独自の雰囲気や価値観が作用し、指導者の支配的状況ができ上がりやすい特徴があります。男子学生たちの暴力被害が、今でも身近に起きていることには驚きでした。
また、一部の女子学生の肯定意見に関しては、現代の暴力やハラスメントに対する厳格な感覚とは一見相反するようにも思えますが、そこには女子特有の学校における対人関係の構造があるのかもしれません。
身体的暴力はなくても、理不尽な追い込まれ方をされていることは多いでしょう。それがポジティブに読み取られるということは、暗黙に暴力を受け入れている状態でもありますので、女子にとって危険なことです。さらに深く知りたい部分です。
身体接触に伴う複雑な感情
西井 一応補足しておくと、被暴力経験がある若い男性が「体罰」に賛成する傾向にある一方、同じく被暴力経験のある場合でも若い女性のほうは「体罰」を否定する傾向が強いことをアンケート調査から実証している研究があります。
20年以上前の調査なので、変化してきた可能性はありますが、それでもまだ体罰を肯定的に捉える男子も存在していると思います。
例えば2022年12月、長崎県の私立高校バドミントン部の顧問が、部活動中に生徒を蹴ったり髪をつかんだりする事件が発覚しました。その際、体罰を受けていた男子部員が「自分たちを強くするための指導だと思う」と言っていたという報道がありました。
川口 天野さんの話は、保育を専攻している男子学生ということで、ある種の─表現が難しいですけれど、例えばそういった体罰的なものを嫌悪している学生が集まっている可能性はありますね。
天野 おっしゃる通りですね。みんな今時の子たちですけども、やはりマッチョな感じではなく、どちらかというと「男らしさ」とは少し距離があり、おっとりした子たちが多いように見受けられます。
西井 体罰を肯定するか否かにジェンダーが関わっているかどうかという問いとは別に、スポーツを媒介にすることによって、子どもたちを雑に扱ってもいい、暴力的な扱いは許容されるという価値観がずっと残り続けるという問題がありそうですね。
杉田 あまりうまく言えるかわからないんですけど、教師からの身体接触イコール体罰で絶対悪、みたいな話に対する違和感は自分にもちょっとあるんですよね。自分が中学生のときには、忘れ物をすると体育教師が棒でお尻を叩いたりとかって普通にあった。もちろん今ではアウトなんでしょうけれど、でもそれは僕の中ではそれほど嫌な記憶ではない。
むしろ嫌だったのは、職員室に呼び出して、自分が悪いと謝るまで許さない音楽教師とかのほうでした。「自分が悪い」と認めるまで、絶対に職員室から出さない。その代わり殴ったり叩いたりはしない。そっちのほうがすごい屈辱というか、嫌な暴力の記憶として残っていて……。
だから叩いていいって話でもないんだけど、身体接触=体罰=悪ということに対して、それで何かが逆に見えなくなっていないかなっていう疑問を抱くことは、一つの角度としてあってもおかしくないと思うんです。
難しいですよね。例えば最近、ケア論や感情史のような、感情や情動についての学問がいろいろ出てきています。ケアは他者に対する配慮や心理的共感、またはシンパシーとエンパシーなど、割と心理面で捉えられがちです。
けれども、やっぱりケアとか保育って、身体接触が常にあるから、それに伴うもろもろ複雑な現象が生じていると思うんですよね。身体接触を伴うから、完全にセクシュアルなものを消し去れない側面があるし、ハラスメントか否かで分けきれないような複雑で微妙なものが生じやすいような気がして。
つまり、身体の面倒くささ、厄介さ、細やかさのようなものが割と置き去りにされちゃっている面があるのかな。













