所得税か法人税か消費税か、いずれかの大きな増税が避けられない
防衛費の問題も同じ構造にある。GDP比3.5パーセントという巨大な目標だけが先に走り、財源の議論は曖昧なまま意図的に棚上げされている。
実際には数兆円規模の恒久財源が必要であり、所得税か法人税か消費税か、いずれかの大きな増税が避けられないにもかかわらず、政治家の口から「増税」という言葉は一度として公に語られない。
そして代わりに繰り返されるのが「国民の皆様のために」という便利な言葉である。だが、その語尾とは裏腹に、まるで「説明しなくても国民は従うだろう」という前提が透けて見える。
この形式的な敬語の裏側に漂う奇妙な温度差こそ、日本政治の驕りと慢心を象徴しているように思えてならない。
片山財務大臣の発言には、その驕りがさらに露骨に表れている。「介入もありうる」と強気の姿勢を見せながら、どこか市場を叱りつけるような傲慢さが漂う。しかし市場は微動だにしない。それどころか、発言の直後に円安方向へ動く場合さえある。
これは市場が冷淡だからではなく、日本政府と日銀が円安を本気で止める意思を持っていないことを海外勢が完全に見抜いているからである。
口先介入に反応しない市場「日銀の主体性の喪失」
政府は円安による税収上振れを財源として当て込み、国債を増発し、それを日銀が買い取り、その結果さらに円安が進み、再び税収が増える。
この循環構造が市場に完全に読まれている以上、片山氏がどれほど“偉そうな口先介入”を重ねても市場が反応するはずがない。
市場は言葉ではなく構造を見るのであり、構造が崩れている国の発言を受け止める理由はどこにもない。
そして、その構造の根本に存在するのが日銀の主体性の喪失である。
本来、物価が粘り始めた段階で小幅でも利上げを行い、「痛みを受け入れる覚悟」を示すべきだった。市場が求めていたのは利上げ幅の問題ではなく、中央銀行としての主体的な意思表示であり、時間を先取りする気概だった。
しかし日銀は「注視」「慎重に」「適切に」という逃げ道に留まり続け、政策は後追いとなり、時間感覚は完全に遅れた。信認とは、崩れる音を立てて失われるのではなく、薄皮一枚ずつ剥がれるように静かに消えていく。
いまの日銀の姿はまさにその最終段階であり、植田総裁が何を語ろうとも市場が冷ややかに受け止めるのは、日本銀行を「主体的に舵を切る中央銀行」とは見ていないからである。













