読者の期待に応えることが、新聞社の責任

窪田 『過疎ビジネス』を読んでいる間ずっと、著者である横山さんのエネルギーを強く感じて、常に石炭がくべられ続けている機関車をイメージしたりしていました。この本に限らず横山さんが「書く」動機はどこにあるのかな、と思ったのですが……。

横山 もちろん「表現の自由を体現して民主主義を守るんだ」みたいな、教科書的な答えもなくはないですが、常に思っているのはもっとシンプルなことです。読者に記事を読んでもらいたい、楽しんでもらいたい。自分自身も活字を読んで救われた体験があるし、安くない購読料を払って新聞を読んでくれている人たちの期待に応えるのが自分たちの責任だと思っています。

だから、読者との「読んだよ、面白かったよ」「でしょ?」みたいなやりとりがやりがいになっているところはあります。国見町での問題を追っていたときも、取材先で「あんたら、またこの件の続報書くのか」って言われて「書きますよ」と答えたら、「最近、毎日新聞が楽しみなんだよ」と言ってもらったことがあって、嬉しかったですね。記者冥利に尽きるなと思いました。

窪田 そういう、新聞社の中だけで完結しないで読者とつながるような感覚は、地方紙だからというのもあるんでしょうか。

横山 あるんじゃないでしょうか。自分が書いた記事が出たら「今日の朝刊に載ってます」って取材先にLINEを入れて、向こうも「あ、見とくよ」と返事をくれて……といった距離の近さはありますね。

窪田 今日のテーマの一つは「調査報道」ですが、調査報道って時間もお金も労力もすごくかかる仕事ですよね。冒頭でおっしゃったように地方紙も人がいなくて、経営的にも「弱っている」状況にある中で、一記者が調査報道をやる難しさというのはありますか。

横山 地方紙は今、本当に人手が足りなさ過ぎて、日々の紙面を埋められなくなっているのが現状なんですね。記事が足りなくて、「なんか写真がやたら大きくない?」みたいなことがあったり。だから、調査報道なんてやっている余裕は全然ないし、物好きしかやらないという感じだと思います。地方紙のほうが全国紙よりも細かいところ、いわば「重箱の隅」を追い続けられるという良さはあるんですけどね。

しかも、その日の紙面を埋めるのにきゅうきゅうとしているような状況は、私が福島総局にいたときよりもさらにひどくなっていますから、もう1回同じ調査報道をやれと言われてもちょっと無理だな、と思います。

窪田 中には不動産を買って、不動産事業で赤字をカバーしている新聞社もありますが……。

横山 うちの会社は買ってないから大変なんです(笑)。むしろ、安いときに買っておけばよかったのに、と思いますね。たくさん不動産を持っていると聞く全国紙もありますが、私はそれでいいと思っているんですよ。というのは、報道って今、本当にお金にならないから。

これはその新聞社の方に聞いた話ですが、たとえば新聞協会賞を取って今まで部数が増えたためしがあるかというと、ないそうです。記者がいい記事を書いたから部数が増えるなんてことは、ほぼないんですね。そう考えると、報道という事業を単体で維持することはもはや困難になっているといえます。

だからといって、報道が存在しない世界というのはかなり怖い。アメリカでも地域紙がどんどん姿を消して、地元紙のない「ニュース砂漠」が急速に拡大しているといわれますが、そういう地域では明らかに汚職が増えていることが分かったんだそうです。

これは「海の向こうの話」では全然なくて、私のいる東北などではもうすでに同じことが起こりつつある。メディアはもう、全然違う事業で収入を得ながら報道の役割を果たしていくようにしないと保たないんじゃないかと思います。

窪田新之助さん
窪田新之助さん