世界選手権で3つのメダルを獲る
2003年2月18日から3月2日まで、バルディフィエメ(イタリア)で開催された、ノルディックスキー世界選手権。世界選手権には、過去5回出場してきましたが、個人ではまだメダルを獲ったことはありませんでした。オリンピック同様、緊張したり、天候に恵まれなかったり、なぜか本来の力を発揮することができずにいたのです。
2月22日に行なわれた個人ラージヒル(K点120メートル)。1本目、風は落ち着いていて、緊張することもなく、131.0メートルのジャンプ。3位につけました。2本目も緊張せず、思った通りのジャンプで130.5メートル。2本飛んだ時点で1位につけて、メダルが確定しました。
その後の2本目で、アダム・マリシュ(ポーランド)が136.0メートル、マッチ・ハウタマキ(フィンランド)が133.5メートルを飛び、僕は3位となりましたが、世界選手権初となる銅メダルを獲得しました。マリシュはソルトレークシティー五輪・ラージヒル個人の銀メダリスト。飛距離の差こそありますが、世界選手権で彼とメダル争いをしたことは、世界の頂点をめざす足がかりとなりました。
翌23日の団体戦。日本は、船木選手、東輝さん、宮平選手、そしてアンカーは僕というオーダーでした。1本目は船木選手と東さんが120メートル台、宮平選手と僕が130メートル台を飛んで、2位に。またしてもメダル獲得のチャンスです。
2本目では、船木選手が着地時に手をついて減点となり、3位に一度落ちますが、最後に僕が132.0メートルを飛んで2位に逆転。アンカーのプレッシャーは、ありませんでした。最終的に、日本は銀メダルを獲得しました。
そして2月28日の個人ノーマルヒル(K点95メートル)。試合2日前の公式練習は休んで、調整に充てました。
1本目、99.0メートルを飛んで7位。104.0メートルを飛んだ1位のアダム・マリシュとは5メートルの差がありましたが、2本目で105メートル以上飛べば、逆転優勝の可能性もありました。
以前なら気負う場面でしたが、僕は落ち着いていました。2本目はイメージ通りのジャンプで104.0メートルを飛び、一気にメダル圏内に。残りの選手は100メートル前後と距離が伸びず、接戦の末、僕が3位に入賞して、銅メダルを獲得しました。
個人ラージヒルで銅、団体戦で銀、個人ノーマルヒルで銅。3つのメダルを首にかけて、僕は帰国しました。川本さんをはじめ、土屋ホームの仲間が温かく迎えてくれました。僕も笑顔で応えました。
過去5回でひとつも獲れなかったメダルを、一気に3つ獲得。なんだ、こういうことだったのか。ジャンプにはそこまで強い筋力も、激しいトレーニングも、必要なかったのだ。
ソルトレークシティー五輪での、僕の肉体はキレ過ぎていたのです。だからジャンプが嚙み合わなかった。鍛え過ぎた体を乗りこなすことができず、逆に振り回されていた。
適度なインターバルを取り、リラックスすることで、心身のバランスが整う。技と肉体が、嚙み合うようになる。30代を迎え、フィンランド式のトレーニングと出会ったことで、研ぎ澄まされた僕のジャンプは、やわらかな進化を遂げました。













