叩き上げた力士から学ぶ「最後に勝つ力」
革新的な技術や商品を世に輩出した企業や起業家は、早くして成功することも少なくありません。
成功者は若くても先鋭的なものを生み出せますし、その価値を伝えることもできます。そして何より、それを応援してくれる人にも恵まれます。SNSが普及するずっと前から、それは変わりません。
大相撲の世界もデータで見ると、横綱そして大関は、たとえ「遅咲き」であっても20歳前後で十両までに昇進しているケースがおもです。
才能ある力士は、その片鱗をキャリア早期から見せているものです。
しかし、成功者がすべて若くして世に出てきて、順風満帆にキャリアを重ねているのかというと決してそうではありません。時代と共に〝勝てる戦い方〟は変わるものです。
実際に、数年前までは業界のトップにいた人間が、時代の変化に追いつけずその地位を降ろされる、というニュースが後を絶ちません。
いつまでも過去の成功体験や、やり方にすがっていてはいけないのです。
千代の富士は、26歳で横綱に昇進した後もその成長を止めず、多くの力士が衰える30代で全盛期を迎えた異色の存在でした。そんな千代の富士ですが、幕内に上がる前の十両には約3年在位。
横綱クラスの力士なら2場所で通過することもある地位で足踏みしたのは、彼が壁にぶつかっていたからです。
千代の富士は幕内に入る前からアスリートとしての素質が高かったものの、体重は100㎏未満と小兵なほうでした。
近年では、自分より1.5倍重い相手への勝率は大きく下がるというデータもあります。当時の平均体重を考えると、彼の体格ではかなり不利な環境だったことがわかります。
さらに、当時の千代の富士は投げ技中心の強引なスタイルで、肩の脱臼を繰り返し、たびたび休場。
休場は番付を下げるだけでなく、治療から稽古復帰まで1からやり直しになるため、積み上げたものが何度もリセットされるリスクを抱えていました。
ルックスやスケールの大きさは光っていたものの、細身でケガが多い。そんな千代の富士は、まだ「個性派力士」の枠に留まっていたのです。