復活のワールドカップ

フィンランドスタイルを取り入れて臨んだ、2002/03年のシーズン。11月から1月にかけてのワールドカップ前半戦では、一桁台の順位を二度マークして、徐々に調子を上げていきました。このときは、2月中旬に控えている2年ぶりの世界選手権に照準を合わせていたので、序盤から飛ばす必要はありませんでした。

そして2月8日、9日にビリンゲン(ドイツ)で行なわれたワールドカップ2連戦。個人ラージヒル(K点120メートル)で、初日に12位をマークしました。

このシーズンから新ルールで、スーツの規定変更がありました。飛び過ぎを抑えるため、従来よりも薄い生地で、体に密着した服が義務づけられました。その中でオーストリアの選手は、通常より股下の長いスーツを着用して、飛距離を出していました。生地の伸びたところに風を受けて、ムササビのように飛ぶイメージです。

ルールが変更されても、その抜け穴を見つけて勝ちに来る。ヨーロッパ人のしたたかさには感心させられますが、このときは僕も、最新型のスーツを入手していました。ルール改正が頻繁に起こるジャンプ競技では、心技体に加えて、「道具」も勝利のファクターとなります。

日本はヨーロッパに比べて、新しい道具の導入が遅れていましたが、土屋ホームでは、フィンランド人のコーチを迎えたことで、最新の情報が入ってきていました。

2日目の大会には、心強い応援もありました。ビジネスでドイツに出張していた、土屋ホーム社長(当時)の川本さんが、アウトバーンを200キロ運転して、会場まで駆けつけてくれたのです。

個人ラージヒルの1本目。強い風が吹いていました。「く」の字ジャンプは、最初から行なうつもりでしたが、助走中にひらめきがありました。「踏切で体を投げ出してみよう」。

ジャンプのとき以外は、ジャンプのことは考えない。半年実践してきた新習慣のおかげで、脳の疲れがなくなり、僕の頭の中は、以前よりずっとクリアーになっていました。それからというもの、ひらめきがよく起こるようになっていました。脳で考えなくても、インスピレーションが湧いてくるのです。

写真はイメージです 写真/Shutterstock
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体を投げ出すような踏切。新型スーツでの「く」の字ジャンプ。K点をはるかに超える147.0メートルを飛びました。ランディングバーンは終わりに近づいていましたが、着地姿勢のテレマークも決めました。

2本目は、強風のため打ち切り。僕は2シーズンぶり、通算14勝目となる、ワールドカップ優勝を果たしました。会場にいた川本さんを見つけて、一目散に駆け寄っていきました。土屋ホーム移籍後の初勝利。それまでは母や妹、姉のために戦ってきましたが、家族以外の誰かのために頑張ろうと思えたのは、初めてだったかもしれません。

さあ、次は世界選手権です。