なぜ父と息子なのか
――そもそも、遠田さんはなぜ「家族の物語」にこだわるのでしょう。
遠田 私自身、両親との関係がよくなくて、最期まで和解することなく……というか、和解するつもりもないまま、二人を見送りました。そして今、もうすぐ六十歳になろうというのに引きずっているわだかまりを解消するため、小説を利用しているところがあります。一種のリハビリみたいなものだから、作品ごとに異なる角度から描くことに挑まなくては、意味がないんですよ。いわゆる毒親と呼ばれる人たちに対する許せなさを発散し続けるだけでは、どこにも出口を見つけられない。積極的に書きたいと思わないからこそ、親子の和解というテーマに向き合ってみることが作家としては必要で、物語のなかではきちんとそれを成し遂げられるようになりたいと思って、今作を書きはじめました。
――父と息子という男性同士の関係を描くことが多いのは、どうしてですか。
遠田 私の父は子どもっぽいところがある人で、母に比べると親になりきれていなかったように思えるんですよ。私には娘が二人いますが、よほどの事情がない限り、女性は妊娠したら産むことになる。どんどん大きくなっていくお腹とともに日々を送るのに対し、男性は生まれるまで実感がないまま。もしかしたら生まれてなお、実感は薄いままかもしれない。そのしわ寄せを食う子どもはたまったもんじゃないし、城が天河から受けた仕打ちはとうてい許すことができないものだと思うのですが、天河の過去を描いたことで、少しずつ城のなかに、許すか許さないかはさておき、もっとお父さんのことを知ろう、知りたいという気持ちが芽生えてきた。
これは、私にとって一つの成長といえますね。これまでは、親の過去なんて知りたくもないと頭から拒絶していたし、知ったうえで理解することを押しつけられるのもごめんだった。だけどもし、少しでも知りたいと自分から思えるのであれば、それもありかもしれない。私なりに両親のことを受け入れてもいいのかもしれないと、今作を書いたことで思えるようになったんです。私自身が、城よりも天河のほうの心情に寄り添いやすい年齢になった、ということも大きいかもしれません。
――城と天河の関係には、天河と路傍の関係が影響していて、路傍にもまたその父との確執があったと、物語を追ううちにわかっていきます。いったいどこまでさかのぼれば、どの段階で歪みが解消されていれば、問題は起きなかったのだろうと考えると、家族というものの業の深さに、途方に暮れてしまいますね。
遠田 私は祖父母との縁も薄く、顔も知らない祖父は聞く限りではずいぶんとひどい人だったようなので、両親もいろいろ大変だったんだろうなとは思うんですけどね。でも、さかのぼれば延々と続くわだかまりの連鎖を、私が食い止められているかというと、そうとは断言できない。娘にとっては毒と感じられる部分があるかもしれないし、今はまだわかりやすく発露していなくても、私から受けた何かしらの影響で、娘が次の世代に引き継いでしまうことがないとも言い切れない。この途方に暮れてしまいそうになるほど深い業の流れに興味があるので、きっとまだまだ、そういう小説を書き続けていくと思います。
ありふれた悲劇を描き続ける
――食い止めるのは、もしかしたら家族じゃないのかもしれないな、とも思います。本作でいうと、ドキュメンタリー取材のために路傍に密着していた兵藤さん。彼は折に触れて、城に厳しくもあたたかい助言をくれますよね。彼の存在がなかったら、家族だけに向き合っていたら、城は変わらなかったかもしれない。
遠田 兵藤さんは、お気に入りの人物です。勝手に、津田健次郎さんみたいな声だと設定しているんですけど(笑)、いい人ですよね。城にとっては父親代わりで、他人だけど甘えられる存在で。あまりにいいことを言いすぎる、クサいキャラになっちゃったかもしれないなというのが唯一の心残りです。
――むしろ、大事なことは全部兵藤さんの言葉である、というのはリアルだと思いました。家族には面と向かって「いいこと」って言えないじゃないですか。説教だと思われたり、お前に言われたくないと素直に聞いてもらえなかったり。他人だからこそ、まっすぐすぎる言葉も届く、ということがあるよなあ、と彼と城との対話を読みながら感じました。
遠田 確かに。そう思うと、つくづく家族というのは不思議なものですね。なぜ、たまたま血がつながっているというだけで、あんなにも密接に暮らし、わかりあえると思っているのだろう。城が香月に出会ったように、恋人のほうがよほど、心の深い部分で通じ合い、愛し合うことができるのに。
――でも、恋人は距離が近づきすぎると、また違う関係のいびつさが生まれたりしますよね。幼なじみの香月に対する城の態度も、なかなかのものでした。
遠田 ふにゃふにゃでしたから(笑)。どうすれば、主人公として嫌われない程度に迷走できるかというのも、今作では悩みどころの一つでしたが……彼は決して言ってはいけないことを言ってしまった。人は自分に対して誠実でいられなくなると、他人のことも傷つけてしまうんだろうなあ、と思いました。祖父の死、そして父との確執という苦しみを抱えながらも、城はまっすぐ前を向いているつもりだった。だけど、自分の苦しみの根源はなにか、客観的にとらえることもできず、ただ痛みをごまかしてがむしゃらに突き進む先は、決して「前」とは言えない。その結果、いちばん大事にしなくちゃいけない人を傷つけてしまった。香月は香月で、そんな城を支えることで自分の居場所を得ようとしていたから、お互い様のところはありますけどね。そう思うとやっぱり、兵藤さんがいちばんの善人ですね。彼には、すこやかに幸せになってほしい(笑)。
――でもきっと、彼には彼の迷いと苦しみがあるんだろうなあ、と想像させられるのも今作の魅力です。〈ありふれた悲劇〉という言葉も出てきましたが、誰もが唯一無二の地獄を生き抜きながら、それをたいしたことではないと自分に言い聞かせているのだろうと思わされる。
遠田 ありふれた悲劇。我ながら、きつい言葉を書いたなと思います。その言葉を発した人の経験した地獄は、とうてい「ありふれた」なんて言えるものではないけれど、その人だけが特別だったわけではないというのも事実。当人以外は簡単に忘れてしまうということも、また。
だからこそ私は、物語を書き続けなくてはいけないのだとも思うんです。ありふれているからといって、悲劇をなかったことにしないために。特別じゃないからといって、痛みや苦しみがたいしたことないなんて言わせないために。そこに生きている人たちの営みを丁寧に重ねながら小説を書いていきたいと思います。
――そうした気づきを経て、新たに書いてみたいテーマはありますか。
遠田 北杜夫さんの『楡家の人びと』のような、もっと長大な家族の年代記にはいずれ挑戦したいと思っています。あとは、家庭内の殺人。それこそ、割合でいうと一番ありふれているはずなのに、特別視されがちなそのテーマにも挑みながら、私なりに家族とは何か、その業の深さを見つめ続けていくつもりです。
「小説すばる」2025年10月号転載