宮本が選手会長としてやり残したこと 

自ら手を上げて、3年間をやり切り、次世代への人選指名や引継ぎも円滑に行った人物にも、一つだけ悔しさとともにやり残したと思う事案があった。後に国の制度の変更に伴って廃止になった選手の年金である。

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これは宮本会長の責任ではないが、国の制度の変更という流れの中でも、何とか維持できる余地がないか、次世代に向けて任期中に声をあげたいと考えていた。「それで財源としてクライマックスシリーズのファーストステージと、セカンドステージのそれぞれ1戦目、セ・パ合わせてその4試合を年金用にプールさせて欲しいとNPBに提案したんですが、これはけんもホロロに拒否されてしまいました」

ここまで食い下がることができたのは、なぜだったのか。

「やる前は実際に経営者側と、一選手の僕が話ができるかと考えたら、すごく不安だったんです。でも最初に事務折衝に出席したときに、言い方は悪いかもしれませんが、あ、これは大したことないなと思ったんですよ。

対峙する人は、本当に野球界を良くしようと思って話していない、というのがすごく感じ取れた。だから自分は渡り合えるという気はしました」

交渉事は無私の精神で臨み、大義がある方が強い。そして野球に捧げる情熱の前では、誰しもが平等に意見を交換できるし、できなくてはいけない。

宮本は言わずと知れたシーズン犠打日本記録保持者。自己犠牲を強いられた上で決めて当たり前と思われているこの送りバントの技術は極めて高度である。割りに合わない仕事には慣れている名球会会員。プロフェッショナリズムをもって次世代の選手のために権利という走者を大きく前に進めていった。

文/木村元彦

労組日本プロ野球選手会をつくった男たち
木村 元彦
労組日本プロ野球選手会をつくった男たち
2025/11/6
2,200円(税込)
240ページ
ISBN: 978-4797674712

初代会長の中畑清、FA制度導入の立役者・岡田彰布、球界再編問題で奮闘した古田敦也、東日本大震災時に開幕延期を訴えた新井貴浩、現会長の曾澤翼など歴代選手会長に聞く、日本プロ野球選手会の存在意義とは。

今から40年前の1985年11月に設立された「労働組合日本プロ野球選手会」。
一見、華やかに見える日本プロ野球の世界だが、かつての選手たちにはまともな権利が与えられておらず、球団側から一方的に「搾取」される状態が続いていた。そうした状況に風穴をあけたのが「労働組合日本プロ野球選手会」であった。大谷翔平選手がメジャーリーグで活躍する背景には、彼自身の圧倒的な才能・努力があるのは言うまでもないが、それを制度面で支えた日本プロ野球選手会の存在も忘れてはならない。
選手たちはいかに団結して、権利を獲得していったのか。当時、日本プロ野球の中心選手として活躍しながら、球界のために奮闘した人物や、それを支えた周りの人々に取材したスポーツ・ノンフィクション。

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