宮本が選手会長としてやり残したこと
自ら手を上げて、3年間をやり切り、次世代への人選指名や引継ぎも円滑に行った人物にも、一つだけ悔しさとともにやり残したと思う事案があった。後に国の制度の変更に伴って廃止になった選手の年金である。
これは宮本会長の責任ではないが、国の制度の変更という流れの中でも、何とか維持できる余地がないか、次世代に向けて任期中に声をあげたいと考えていた。「それで財源としてクライマックスシリーズのファーストステージと、セカンドステージのそれぞれ1戦目、セ・パ合わせてその4試合を年金用にプールさせて欲しいとNPBに提案したんですが、これはけんもホロロに拒否されてしまいました」
ここまで食い下がることができたのは、なぜだったのか。
「やる前は実際に経営者側と、一選手の僕が話ができるかと考えたら、すごく不安だったんです。でも最初に事務折衝に出席したときに、言い方は悪いかもしれませんが、あ、これは大したことないなと思ったんですよ。
対峙する人は、本当に野球界を良くしようと思って話していない、というのがすごく感じ取れた。だから自分は渡り合えるという気はしました」
交渉事は無私の精神で臨み、大義がある方が強い。そして野球に捧げる情熱の前では、誰しもが平等に意見を交換できるし、できなくてはいけない。
宮本は言わずと知れたシーズン犠打日本記録保持者。自己犠牲を強いられた上で決めて当たり前と思われているこの送りバントの技術は極めて高度である。割りに合わない仕事には慣れている名球会会員。プロフェッショナリズムをもって次世代の選手のために権利という走者を大きく前に進めていった。
文/木村元彦













