制度運用の仕方に対しても意見 「明日から試合やりませんよ」
宮本は選手とファンが納得する環境の整備と並行して、制度設計やその運用についても矛盾を感じたときは、活発に発言をしていった。
2007年の開幕前に中日が元本塁打王の中村紀洋を支配下登録しようとした。当時の中村はオリックスの契約交渉がこじれて自由契約となり、中日に育成で入団していた。
実力は疑う余地が無いので開幕前に支配下になるのは、織り込み済みであったが、これで70人枠が上限に達してしまった。
何かのときのために1枠の余裕を持たせたい中日は2005年の高校生ドラフトで入団していた金本明博をウェイバー公示(契約中の選手の保有権を解消して他球団に対して獲得機会を与える)にかけた。
時期的にも編成は固まっており、投手から野手に転向したばかりの選手の獲得に手を上げる球団は現われず、結局金本とは育成枠で再契約をすることが想定されていた。
宮本にとっては、交渉相手となる巨人の清武が推進した育成制度である。その目的は熟知していた。
生え抜きの選手をしっかりと育てるために作られた制度だが、しかし、ここで本来の在り方とは異なる使われ方(=強化施策として実力のある選手の緊急退避先や支配枠を空ける場所)をしたことに、猛反発して即座に声を上げた。
「これを悪しき前例にしてはいけない。本当は『明日から選手は(試合を)やりませんよ』と言ってもいい問題です」と強い言葉で遺憾を表明した。
ウェイバー公示は本来、シーズン終了後にリリースされるもので、このやり方では選手がさらし者にされてしまう。協約上は、確かに違反ではなかったが、このときはセ・リーグ事務局もまた中日の2度にわたる申請を相次いで却下した。
結局、金本は育成ではなく支配下登録されたが、翌年も育成登録を打診されこれを固辞、「プロではいい思い出が何も無かった」という言葉を残して球界を去っている。この育成制度の在り方について、宮本は現在も疑義を呈している。
育成制度がアマのレベルを低下させている
「僕が特に思うのは、この育成制度がアマチュアの著しいレベル低下につながっているということです。育成でプロが取るのはやはり基本的に高校生が多いですよね。
育成制度が無いときはドラフトにかからない選手は大学、社会人に進んでそこでアマチュアのレベルを上げていた。そしてそこで揉まれて成長してプロ入りする選手も多かった。
取る側は、まあ育成なら取っておくかということになりますが、選手でセカンドキャリアを考えたときに大卒・社会人だと、どこかで見切りをつけた場合に潰しも効くけど、育成の場合3年(同一チームで3年以内に支配下になれないと自動的に自由契約になる)で辞めるとそこはきつい。
僕がアマチュアを教えていると、「育成でもプロに行きたい」という選手が多いんですけど、「育成で3年でクビになったらどうするの?」って言うんです。「契約金ないよ。給料だって年間200万ぐらいでしょ。野球道具どうするの、お前らに用意してくれるところないやろ」って。
ある高校の先生がおっしゃっていましたけど、教え子が野球を継続することは嬉しいけど、心が痛むと。球団も故障者を育成に回してとか、便利にこの制度を使い過ぎています。それだったらもう70人枠も撤廃して支配下枠を増やしたほうがいいと思うんですよ」













