親しみやすさの苦しさ
なんだか雄々しく理想論を語ってみたものの現実はそうは甘くない。「ためらってはならない」のにみんな若者にビビりまくっている。そして恐怖は意外なところにひずみを生み出している。
若者はどうやら親密な交友範囲が狭くなっている。職場でも同様だろう。その世界観を認めるなら中年男性に人権は与えられていない。そして親しみやすい上司/先輩がますます求められる。加害がなさそう、パワハラしなさそう、と読み替えてもいいだろう。結果的に、需要が急速に高まる属性がある。「優しそうな若い女性」である。
突然だが筆者のエピソードを紹介したい。大学生のころ、所属していたサークルの「新歓」があり、新入生の応対をする人材配置の仕事を担っていた。新入生を入部させるためにはやはりストレスを与えず好印象なのが大事だろうと思って、主に女性、なかでも「印象のよさそうな」女性を選んでいた。
ところが新歓がうまくいかない。それなりに見学に来るけど入部に至らず新歓が長引き、担当女性陣を酷使することになる。印象のよい方なので面と向かって不平不満を言ったりはしないのだが、苦笑いしながら「なんだかもう笑い疲れた」とこぼしていた。
作り笑顔で応対するのがしんどいというのだ。そのとき筆者は「あっ、自分はなんかすごい間違ったことをしていたんじゃないか」と恥ずかしながらはじめて気付いた。
印象がよいと言っても常にストレスなくふるまえるわけでもなく、初対面の相手に対してならなおさらだ。その女性なりに気を遣ってしんどかったのだろう。新入生のストレスをなくすために結果的に同僚にストレスを強いていたわけだ。
とある若年女性の社会人の方も、こういうコメントをくれた。
「若手には、世代や性別が異なる人とのコミュニケーションが苦手な人が多い印象です。それで、私が比較的若めの女性であるというだけで話しやすいと評価され、若者に懐かれる、みたいなことも、逆にありました」
ハラスメントしたくないという恐怖は、怖くない人をあてがっておけば何とかなるだろうという安易な解決法へ組織が流れる危険に繋がっている。ジェンダーの観点をふまえてもおおいに問題がある。
「女性をニコニコさせておけば釣れるだろう」みたいな実に失礼な考えに至り、未熟な若者の一部がこれまた安易に流されるので「優しそうな人」「若い女性」にしわ寄せがきてしまう。ストレスを別の人に移転しているだけなのに。
書籍『おさえておきたい パラハワ裁判例85』(君嶋護男著 労働調査会刊)でわざわざ強調される一節がある。
「部下の勤務態度の悪さもパワハラの一因」
だというのだ。
著者の君嶋氏は裁判例の執筆を終えて「もう、うんざり」と感想を正直に書き残す(感想だって勉強になる)。
「人間は一体どこまで意地悪になれるのか」「ただ優越的地位を利用していじめを楽しんでいるとしか思えない事例も少なくない」。
醜悪な事例を追うなかでの結論のひとつが「被害者が無謬であるわけでもない」というのだ。
ここまで述べれば一見雑な結論も許されるだろう。若者に迎合すればハラスメントが防止できるわけもない。有効そうな防止策が他のハラスメントを誘発することすらある。
ハラスメントを防止するために他の誰かにリスクを移転する「ハラスメント・ハラスメント」にならぬよう、どこかで歯止めをかけないといけない。