濫用の危険性
そして先述の調査によるとここ10年で2倍に激増しているのは「相談」であり、玄田氏らの調査で扱ったのは「主観的な経験の有無」である。それらが「結果的に本当に問題と認定されたのか」については問われていない。
相談が実際に問題化したのかを正確に捕捉するのはかなり困難だ。ただ「パワハラの疑い」がすべて「パワハラ」になるわけではない。証拠不十分や、微細だったと処置されることも当然ある。スポーツにおいて起きるハラスメント「スポハラ」に関する調査によると「明らかに不適切だとわかる暴力行為より、判断するのがより難しい暴言やハラスメントに関する相談が多くなっている」という。
これが濫用であるかの判断には慎重を要する。いままで我慢してきたこと、泣き寝入りしてきたことがやっと真剣に対応されつつあるかもしれないからだ。
しかしここまで急増すると、優先順位が当然生まれてしまう。「トリアージ」もなされるだろうし、重要な案件が紛れてしまう可能性もある。濫用にならない努力を社会として進めないといけない。相談が激増し、なんでもハラスメント扱いされかねないからこそ、組織は妥当な線引きを凛として行わなければならない。
ハラスメントだと認定するためには慎重を要し、会社もきちんと関与(エンゲージメント!)するよう法律もできたし、第三者の関与も可能になった。こうした動きは「気軽にハラスメントだと言えばいい」ことを意味しない。むしろ真逆だ。「ハラスメントについてきちんと考えて、そうであるものには厳正に対処し、そうでないものもはっきりさせよう」とする流れだと解釈すべきなのだ。
ハラスメントに関して解釈主義は許されない。「あなたが思えばそれが事実」ではなくて、妥当な認定に至るよう慎重にならないといけない。なんでもハラスメントに仕立て上げて面白がる風潮は確かに存在する。だからこそ、そんなもんハラスメントじゃねぇよと断言する権利も、会社にも上司にも当然あるのだ。
パワハラの根源は往々にして上司である。しかし上司「だけ」の問題にしてはいけない。それは職場と会社の問題であり、組織の問題であり、その意味で「みんな」で解決すべきものだ。個人に帰責するだけではいけない。
ここまで説明してはじめて、厚労省の言葉に重みが増してくる。
「上司には、自らの権限を発揮し、職場をまとめ、人材を育成していく役割があり、必要な指導を適正に行うことまでためらってはならない」