吉本の中にインディーズを作る
二郎 金属バットも吉本とはいえ、吉本の本流ではないでしょ。
友保 全然ちゃいますね。若手の頃から吉本の劇場に出続ける下積みとかもやってないんで。
二郎 芸人の最初はNSCでしょ?
友保 そうです。でも卒業したあと、劇場のオーディションに全然受からんくて。もうええわって、劇場に行かなくなったんですよ。それからはずっとインディーズのライブに出まくってました。
小林 関東のインディーズライブにもちょくちょく行ったりもして。
二郎 吉本の劇場じゃなく、インディーズのライブに出てたんだ。そこからどうやって吉本に戻っていったの?
友保 M-1の予選とか敗者復活の動画がちょっと話題になったりして、それを吉本の人に見つけてもらって、ようやく仕事が増えてきた感じですね。
二郎 見つけてくれたのは、大阪の吉本の人?
友保 いや、東京です。だから東京の仕事けっこうあるんですよ。
二郎 俺もインディーズでずっとやってたからね。ただ、今とは時代がだいぶ違う。俺たちの頃は鳥肌実という人がいて、インディーズながら1万人規模の動員だった。俺が主催するライブでも、毎月400とか500人は動員してた。
友保 けっこうな数ですね。
二郎 インディーズでも、それで生活できてたんだよ。今のインディーズ、要は地下芸人って、生活できてないでしょう。
友保 まったくできてないです。
小林 バイトばっかり。
二郎 金属バットがインディーズのライブに出てた頃は、どんな感じだったの?
友保 それなりに楽しくはやってましたけど、それだけでは食っていかれへんので。
二郎 インディーズでも吉本としての芸歴には数えられるの?
友保 わしら吉本を辞めたわけではないので、芸歴のスタートはNSCで結成した時からですね。
二郎 そっか、劇場には出てなかったけど、辞めたわけではないのか。
友保 そうなんすよ。
二郎 でもそう考えると、今も劇場には出てないけど、ネタはおもしろいやつっていっぱいいると思うんだよね。芸風的に上に上がりづらかったり、単純に数が多すぎて見つけてもらえなかったり。
友保 ぎょうさんいると思いますよ。