暴言や徘徊で怒涛のように過ぎ去った数年間 

在宅介護が始まって数年が過ぎる頃、「行動・心理症状(BPSD)」が生じた。もともと内向的で大人しく、子どもたちの話もひたすら傾聴するような優しい母親だった。しかし入浴や歯磨きを嫌がって暴れ、徘徊・幻覚・暴言・暴力・不適切な排泄なども始まる。別人のような変貌ぶりだが、田中さんは衝撃を受けなかったという。

「私の場合はもう必死すぎて。寂しいとか辛いとかよりも、とりあえず今日一日、自分も含めてどうやって生きようかっていう感じでした。母が大声を出さないように、徘徊しないように、人様に迷惑をかけないように……。

50代は体力もあるので、本気で走り出すと家族も見失うんです。感傷にひたっている時間がなかったです。この数年間は時系列もよく覚えていないくらいで」

悲哀や喪失感というのは、ある程度の余裕があるからこそ抱く感情なのかもしれない。母親は家族の顔も忘れつつあったが、それも田中さんは冷静に受け止めた。

「母は私のことを殺人犯だと思っていました。一番身近な人を泥棒だとか犯罪者だと思い込むのはよくあるらしく、介護拒否も強かった。ただ、私自身悲しんでいる余裕はなくて『教科書通りだな』なんて考えていました。当時は感覚が麻痺していたんでしょうね」

どんなに大変でも施設入所が頭をよぎることはなかったという田中さんだが、それでも近隣への影響は生じた。夜間の足音を軽減するため、母親に分厚い靴下を履かせたことを田中さんは今でも後悔している。

直後に母親は病気で入院し、それ以降、自力歩行ができなくなったからだ。しかし同時に認知症は末期に達し、行動上の問題が消失して穏やかな日々が訪れた。

家族の気配が感じられるよう介護ベッドはリビングに
家族の気配が感じられるよう介護ベッドはリビングに