「手を引っ張ると肘から先だけでした…」

相田さんが墜落現場に降り立ったのは13日10時前。リペリングしながら眼下を見渡すと、辺り一面に飛び散る人間の首、手足、肉塊が見え、誰も口にはしないものの「生存者なんているわけがない」と思ったという。

「恥ずかしながら、降り立ってすぐランチしてしまいました(ランチ=自衛隊用語で吐く)。自分は屈強だという自信がもろくも崩れ去った瞬間でした。

しかし我々の使命は生存者を見つけること。小隊長からは『意識のない人間に声をかけてもダメだから手を握れ』と言われていたので、なんとか生存者を見つけたい思いで凄惨な光景の中、残骸から伸びた手をつかんだんです。すると少し動いた気がして。でも。手を引っ張ると肘から先だけでした…」

子どもを持つ隊員が、まるで生きているかのように綺麗な姿の男児のご遺体を抱きかかえ、「怖かったね、もう大丈夫だよ」と涙ぐみながら声をかける姿もあった。

取材に応じる相田さん(撮影/集英社オンライン)
取材に応じる相田さん(撮影/集英社オンライン)

「椅子に座ったまま、丸こげとなったご遺体もありました。ハニワのように口を開けたご遺体も。木の枝には人間の臓器のようなものが垂れ下がっていたり。地獄絵図そのものでした。

そんななかです。山の下のほうにいた上野村の消防団が『自衛隊さん、声がします』と叫んだので駆け降りました。機体の下から確かに声が聞こえる。数人で機体の外壁を持ち上げようにも無理で、崩れかけた機体内部にほふく前進しながら入るしかないと…」

「誰が入るんだ」

そんな無言の緊張が走る中、上官と目が合った相田さん。上官が「相田、志願ご苦労!」と叫んだことにより、相田さんが中に入ることに。

「機体の内部を照らすと座席が上側にあり、首のないご遺体の胴体だけが垂れ下がっているような状態でした。(生存していた)12歳の少女は短髪であったため、男の子のように見えました。

名前を聞いてもよく聞き取れず、その子が『お父さんと妹はどうなったの』と聞いてきたので、私はとにかくその子を安心させたくて『先に隊員が助けているから大丈夫だよ、一緒に帰ろう』と言いました。

その子は腹部にかかったシートベルトで上から宙吊りになっているような状態でしたので、持参したコンバットナイフでベルトを切り、女の子を抱きかかえるようにして(機体の外にいる別の隊員に)腰に巻いたロープを引いてもらい出してもらいました」

飛行機の扉を担架がわりにして生存者の少女を運び、ヘリで一刻も早く病院に連れていこうとするも、報道のヘリが好き放題飛んでおり、自衛隊機は近づけない状態にあった。

「あの報道のヘリは邪魔以外に他なりませんでした。別の女性生存者を救出した後、毛布に包んでいたのに、その毛布をひっぺがして写真を撮ったカメラマンもいましたし。

私が機体から救出した少女は、その後、作間二曹によりヘリで吊り上げられていきました。生存者4人の救出が終わったのが13時頃だったと思います」