お金を渡した女のほうは後悔していない
桜木 私の『ヒロイン』が出たタイミングで「大竹まこと ゴールデンラジオ!」に出させていただいた時でしたね。収録が終わった後に、担当編集者と一緒にホテルのラウンジで、すっごい高いケーキをご馳走になったんです。
「大竹さん、次、私はどんな小説を書きましょうか」って言ったら、「うん、そうだな、老人の恋だな」って。「老人の恋かあ」「ヒモの話なんかいいんじゃないか」「分かりました。書きます」。
その時に横にいた編集者が喜々としているのが伝わってきました。「これ、絶対、桜木に書かせようと思っている」と。
大竹 よく覚えてないけど、俺がヒモだった頃の話をしたんだな。若い時、役者仲間はみんなアルバイトをしてから稽古場に来てた。俺はそれが嫌だったんだ。バイトしてから稽古なんて体力がもたない。女に養ってもらって、働かずに稽古場に来るほうが楽だから、女をつくっちゃおう。そんな甘いことを思ったんだよ。若かったから。
桜木 それ、本気で思ってたんですか?(笑)。
大竹 本気も本気。でも最低だったな。これは話したかどうか忘れたけど、ある日、女に「金」って言ったら、その女が東京オリンピックの記念千円銀貨を四枚出したんだよ。俺はそれでタバコを買ったんだけど、後で考えて、ちょっと待てよと。この金、あいつの最後の金なんじゃないか。
桜木 ああ……。
大竹 千円札が一枚もないからオリンピックの記念銀貨を出してきたんじゃないかって。その時は使っちゃったけど、「俺、最後の金をむしり取ったのか」と思って、「もうやめよう。これは駄目だ。幾ら何でもひど過ぎる」と思ったんですよ。
桜木 私、たぶん、次にそれをヒントに小説を書くんですよ。だって、ぞわってきてますもん。
大竹 もう男として最低だと思ったよ。
桜木 男って最低でいいんですよ。
大竹 俺が最低だよ。最低だったけど、いくら馬鹿でも、これが最後の金だっていうことぐらいは気がつくわけよ。オリンピックの記念銀貨四枚だから。
桜木 泣きたくなってきました。
大竹 もらったお金でパチンコに行ってたという。もうほんと馬鹿で駄目で、どうしようもなかったですね。
桜木 私はそこが好きというか。大竹さんに限らず、男の人のそういうところが男の人のかわいさなんだろうなと思うんです。後ですごく後悔するでしょ。お金を渡した女のほうは後悔していないんですよ。
大竹 渡した女は後悔してないの?
桜木 たぶんしてないですよ。私の場合、お金を渡して後悔するぐらいだったら、最初から渡さない。
大竹 俺、昔世話になった女を訪ねてって、お金を渡そうと思ってたぐらいだよ。やってないけど。
桜木 (笑)。それはなぜ?
大竹 いや、だって、お金をもらいっ放しだからさ。
桜木 週刊誌にネタを売られたら嫌だとか、そういうことではなくですか。
大竹 そんなんじゃない。ごめんなさい、ほんと図々しいんだけど、それは絶対ないんだ。
桜木 チクられない自信があると見ました。自信がある人とない人の違いって何でしょうね。
大竹 チクられるやつのことは知らないから、違いは分からないけど。
桜木 チクられないという自信の根拠は?
大竹 分かんないよ。でも、お金のこととは関係なく、ちゃんとしていれば大丈夫なんじゃないかな。たとえば別れ際に相手を無視したりすれば、それは恨みを買うに決まってんじゃないですか。
桜木 きれいな別れ方って、どうすればいいんでしょうか。
大竹 それはちょっと企業秘密ということで。想像していただいて。
桜木 お金じゃないところで解決するわけですよね。
大竹 そうそう。桜木さんは想像がつくと思うけども、たぶんそういうことだよ。お金じゃないよ。もちろん全員ときれいに別れたわけじゃないよ。汚い別れ方もすりゃ、ひどい別れ方もしてるけど、でも、なるべくきれいにという気持ちはあったよ。それともう一つ、あまりのだらしなさに女が愛想を尽かすというのもあったね。
俺ね、金もないし、顔も大したことないんだけど、若い頃、何かやりそうな顔をしてると言われてたんだよ。
桜木 (笑)。
大竹 自分でも分かってた。風間杜夫が電車に一緒に乗っている時に俺の顔を見て「おまえみたいな顔になりたい」って言ったんだ。すごい二枚目の風間がそう言うんだよ。
それは、何かやりそうな顔だという意味だと俺は捉えたのね。その頃の俺は、劇団でもぺーぺーじゃん。芝居も下手で、何にもないぺーぺーなんだけど、何かやりそうに見えたんだよ、たぶん。でも、女はしばらく付き合うと、「あ、こいつ何もないな」と判断する。「私の幻想だったんだ」って。そうすると女のほうから「もう結構です」と言われることもあったわけ。
桜木 「ご馳走さまでした」って相手に言わせる。
大竹 「ご馳走さまでした。あなたには結局何もありませんでした。さよなら」「私の目の錯覚でした」って女が思ったんだと思う。想像だけどね。
人生最後の恋をする前に
――桜木さんが大竹さんからもらったヒントから、大竹さんが想像していたのとはまた違う作品になっていると思いますが、いかがですか。
大竹 全然違いましたね。そこがすごい。どうやってこうなったの?
桜木 言葉の力だと思います。
大竹 言葉の力?
桜木 老人の恋って、私からは出てこない題材です。仮に自分から出たとしても、非常に切ない、読んでる人が目をそらしたくなるような話になると思うんですよ。でも、大竹さんからの言葉として広げていくと、泣き笑いになる。小説でやるにはかなり難しいところに挑戦せざるを得なくなります。
大竹 ああ、なるほど。小説は泣き笑いは難しいの?
桜木 難しいです。笑いはとくに難しい。泣かせたり怒らせたりはまだ動かしやすい感情かもしれないけれど、そこに、ちょっと笑いも入れようと思うと大変。この年齢にならないと書けなかったなと思います。「ひも」はとくに。
大竹 老人の恋だったね。
桜木 恋として認定していただけますか。
大竹 うん。老人のヒモを受け入れている女の人がさっぱりした性格の人だよね。
桜木 「北海道で雇われ店長をやってる美容師」というのがパッと思い浮かんだ時に、「ありだな」と思いました。慎ましやかなヒモの養い方をしている女性。江里子という名前は「ゴールデンラジオ!」でご一緒した阿佐ヶ谷姉妹のお姉さん、江里子さんのお名前からなんです。
大竹 そうなんだ(笑)。
桜木 「ひも」の江里子は、朗人をアゴで使っていますけど、朗人が履いているスノトレがくたびれているからって、ABCマートで買ってくるんですよね。夫婦が時間をかけて気遣い合うと、ああいう関係になっていくのかもしれないと思いながら書いていました。
大竹 気遣い合えばね。
桜木 目指すところですね。いい形の男女だなと思うんですけど。
大竹 でもね、年老いたヒモの話がこんなちょっといい恋の話になると思わなかったから驚いたんですよ。
桜木 どんな話を想像していらっしゃいましたか。
大竹 俺の同級生だった男がいてさ。俺のところに出入りしてたの。前歯がもうぼろぼろになっていて、もうほとんど歯茎で飯食ってるようなやつなの。そいつが、俺の番組のスタッフの若い女の子に恋をしたんです。ちょっとちょっかい出して、女の子が「やめてください」と言ったという話が俺のところまで伝わってきた。「何してるんだ!」と怒ったんです。「何してるんだ。おまえ前歯ないだろ」。
桜木 そこなんだ(笑)。
大竹 「二十歳かそこいらの女に、何してんだ、おまえ!」って怒鳴りまくったんだ。そしたら、そいつが「大竹、許してくれ。最後の恋だ」って言ったんです。
桜木 (笑)。
大竹 「最後の恋じゃねえ、ばかやろう! もう明日から来んな。出入り禁止だ」って言ったんです。
桜木 そういう最後の恋ですか。
大竹 だって女房いるんだよ、そいつ。
桜木 大竹さんの話を聞いてると、シーンが思い浮かんできちゃいます。
大竹 最後の恋の前に歯を治せって。
桜木 どっちが先かっていったら、歯が先ですね。
大竹 老いらくの恋ってそんなふうになるんじゃないのって想像していたんですよ。年を取った男の駄目な恋愛。だから、こんなふうなホストだったヒモが出てくるというのは想定外でした。
ヒモの話を桜木さんにした時に、桜木さんが「ヒントをもらった」なんて言ってたけど、こんなことになるとは。もう全然違う話だから。作家の想像力のすごさというのかな。ネタを提供したほうが驚きました。