ほろ苦い野党デビュー

公明党が連立を離脱してまもなく1カ月を迎える。このところは、すっかり野党が板についてきたようにも見える。

党幹部の発言はもちろん、長く与党「公明党」の広報を担ってきた党機関紙の「公明新聞」の論調も大きく変化した。ただ、党勢の衰退はとどまるところをしらない。「落日」の公明党はどこへ向かっていくのか。

「これは独裁ではないか」

公明党の斉藤鉄夫代表は10月24日、高市早苗総理による初の所信表明演説の感想を記者団に聞かれて、こう答えた。

公明党の斉藤鉄夫代表(本人Xより)
公明党の斉藤鉄夫代表(本人Xより)
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もちろん、前段がある。高市総理が演説冒頭で「政権の基本方針に矛盾しない限り、各党からの政策提案を受け議論する」と言ったことに対して、斉藤氏は「我々の方針と違う角度から質問しても議論しないならば、これは独裁ではないか」と指摘したのだ。

案の定、ネットでは高市氏の熱心な支援者たちが猛反撃し、発言はやや炎上状態に陥った。すると、翌25日には斉藤氏は広島市内で記者会見を開き、「言葉遣いが不適切だったかもしれない。高市さんを独裁と言った意味では全くない」と釈明した。

通常、総理の所信表明演説の後には与野党の代表や幹事長が記者の取材に応じる形でそれぞれ所見を述べる。NHKや民放の夜のニュース番組では全政党の発言が順番に報じられるため、各党はそれぞれいかにインパクトのあるワンフレーズを切り取ってもらうか、腕の見せどころだ。

おとなしい性格で知られる斉藤氏も野党デビューとあって、張り切って「独裁」というパワーワードを使ってみたのだろう。だが、たった1日で事実上発言を撤回するという、ほろ苦い野党デビューとなった。

「明確な方針を示してもらわな、やってられまへん」

そもそもが、国政選挙での連戦連敗が連立離脱の導火線だった。公明党は支持母体の創価学会員の高齢化が深刻で、全国規模の選挙戦を戦う体制は衰退の一途を辿っているのが現状だ。

10月下旬には、創価学会の全国の地方幹部が信濃町の本部に集まった。野党になって初めての幹部会合だったが、比例票の目標が600万~650万票、全国11の小選挙区においては「撤退」とも「継続」とも指示はなく、事実上、それぞれの地元判断にゆだねられたような形になった。

ある関西方面の幹部は「明確な方針を示してもらわな、やってられまへん」と吐き捨てる。

実際、北海道4区は早々と撤退を発表した。公明党の佐藤英道幹事長代理が10月28日、札幌市内で記者会見を開き、次期衆院選での北海道4区からの立候補取りやめを発表した。佐藤氏は9月に立候補を表明して、わずか1カ月あまりでの撤退になった。

「苦渋の決断だ。最大の理由は国政選挙の選挙協力が白紙になったことだ」