『初体験を持った年齢×6』が寿命

6月26日に行なわれた「サー中松博士 100-3才大誕生祭」は、中松さんを慕う面々が大勢駆けつけた。

なお、その場ではなんと3年後となる「100才大生誕祭」の参加券の発売を開始。98歳、99歳はいいの?と少々疑問がよぎったが、さっそく売れ行きは好調だという。

「確かに私はモテモテでしたが、『社会に出てからしばらくは恋愛ではなく世の中のために邁進しなさい』という母の教えもあって、女性経験を初めて持ったのは24歳のときでした。

人間の細胞分裂が止まるのは医学的には120歳といわれています。つまり人間は本来なら120歳まで生きることができる。そこに加えて、私の独自の研究によると、運動や食事などを考慮しつつの数字ではありますが『初体験を持った年齢×6』が寿命だと考えています。ということで、私は144歳まで生きられるんですね。

脳梗塞や前立腺導管がん、心筋梗塞など、大病もいくつか経験しましたが、日々の発明活動のおかげですこぶる元気です。まだまだ発明を続けられるのはとても嬉しい。100歳はゆうに越えられるでしょうね」

発明王・エジソンは「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」という名言を残した。エジソンより長く生き、エジソンよりも幅広い視野を持つエンターテイナーであり続けている中松さん。「ドクター・中松」こそが、本名・中松義郎の最大の“発明”かもしれない。

若かりしころのドクター・中松(本人提供)
若かりしころのドクター・中松(本人提供)
「初体験の年齢×6が寿命」「だから私は144歳まで生きる」ドクター・中松97歳が発明した日本の少子化対策の“切り札”とは? _5
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PROFILE
中松義郎(なかまつ・よしろう)●1928年東京生まれ。国際最高教授。5歳で模型飛行機の「自動重心安定装置」を発明。東京大学工学部卒業後、三井物産に入社し、ヘリコプターによる農薬散布などを発明し、記録的なセールスを達成する。29歳のとき「ドクター中松創研」を設立。「灯油ポンプ(醤油チュルチュル)」や「フライングシューズ」など、世界に認められた発明件数は約4000件。科学技術庁長官賞、イグ・ノーベル賞栄養学賞を受賞。

取材・文/木原みぎわ 撮影/佐藤靖彦