援助は植民地主義の延長?
村人たちは、役人や政治家が日当を受け取ることを知っている。だから、こういった怒りを覚えるのは至って当然だとも思う。これはそもそも援助制度の構造上の問題だ。こういう時、私はどうしたらいいのかわからない。
日当という不文律は、結局のところ、植民地時代の間接統治の延長戦に見えてしまう。援助を与える側に立った偉い人たちが、地域の有力者を財によって味方につけ、その下にいる村人の感情や行動をコントロールする。
この構造は、奴隷貿易から植民地支配の時代にかけて、白人がアフリカ地域の黒人リーダーたちを取り込み、小さな人数で大きな大陸を支配したあの卑怯な方法と不思議なほどに重なっている。日当で釣り上げた有力者が味方につけば、住民を動かすことなんて簡単だろう。
そんなふうに考えると、日当という甘い汁を吸い取るために集まってくるくまのプー的有力者は、怒りの対象にはならない。怒りのベクトルが本来向かうべきなのは、援助制度の構造そのものであるはずだ。
私はその日集まった住民に対して、わずかながらの日当をなるべく日当とは思えないような形で支払うことにした。
「これでせめて、アブティアを分け合ってください」
私は村の代表者である女性に現金を渡した。
「…………」
「…………」
沈黙が場を支配する。言語を理解せずとも意味はわかる。彼女たちは明らかに不機嫌だった。後味は悪かったし、思い返してもそれでよかったのかどうかはわからない。しかし、この類いのことは援助屋で働く以上、これから何度も体験するだろう。
それでも「こういうものだから」と言って日当をばら撒くことに少しの違和感も覚えなくなるくらいなら、この業界からキッパリと足を洗う方がマシだと思う。小さなことでも、ずっと納得しないし納得してはいけない。
援助は結局のところ、植民地主義の延長戦に過ぎないんだろうか? 嫌な後味を残しながら、私たちのプロジェクトは始まった。
文/田畑勇樹