「野球を辞めて大阪に帰る」キャプテン・ダルビッシュが起こした事件
しかし、この名将との試合でダルビッシュの投球術はさらに磨きがかかったと言っていいだろう。
2年生エースながら甲子園で注目を浴びたことにより、3年生になったダルビッシュには大きな期待がかかった。センバツでは熊本工戦でノーヒットノーランを達成。夏の甲子園では1回戦から2試合完封と状態がいいときは相手打線がまったく手がつけられないことを証明した。
また成長痛などの痛みを抱えているときも打者の目線やタイミングを変えるためにサイドハンドから投げるなどの工夫を凝らしながら相手打線を抑えており、「悪いときにでも勝つ投球を工夫する」という点においてプロ顔負けの実力を発揮していた。
しかし、この春夏ともに優勝候補と目されていた東北は、いずれも決勝の舞台まで勝ち上がれずに敗退する。
ダルビッシュはキャプテンに就任したことで、技術的な部分よりも自身のキャプテンシーに悩みを抱えていた。
全体練習が基本の高校野球において、練習方法に関する考え方の違いで一部のレギュラーメンバーと対立し、秋の明治神宮野球大会で済美に負けた直後、ダルビッシュが「野球を辞めて大阪に帰る」と同級生全員の前で発言。2時間話し合い、最終的には撤回させたという事件もあった。
チームメイトだった大沼尚平氏は、ダルビッシュとのコミュニケーション不足が敗因の一つであったと振り返っており、チームメンバー全員が各々責任感があったからこその衝突であったことがうかがえる。
ダルビッシュ自身も後に「あんときの俺、ひどいキャプテンだったな」と述懐しているが、この経験があったからこそいまでは頼れる兄貴分として2023年のWBC日本代表チームやパドレスでは投手陣を引っ張る役割を引き受けているのだろう。
その後の活躍は、多くの人が知る通りである。
文/ゴジキ