「俺なんてってまず思っちゃいけないですよね」

そんな中山が近年、芸能の仕事と並行して精力的に取り組んでいるのが“書道”だ。実は10代の頃に親しんでいたものの、忙しさもあって離れていた。50歳を目前にして「もう一度、筆を持とう」と決意した理由を聞いた。

「両親が数年前に亡くなって、その頃にこれまでやってきたことをやり直そうと思ったんです。書道は小学校からやっていたんですけど、50歳ぐらいの時からまた始めました。

ただタレントがそこそこうまいっていうレベルでは満足しなかったので、プロが見ても唸る作品を作りたいと思ったんです」

横浜国立大学教授で書家の青山浩之氏に指導を受けながら一般部門で作品を出し続けた。毎日新聞や、国立新美術館の独立書展。佳作を取ったりもしながら、何年も地道に続けていった矢先、去年初の個展を開くことに。

「去年、初めて群馬で個展をやって31点の作品を展示させてもらいました。お客さんも3万2000人ぐらい来てくださったんです。それで、今年もやるぞってことで夏に銀座でやるんですけど、その前に『海外でやりませんか』っていう話があって、正直ドッキリなんじゃないかと思いました」

運命を切り拓いたのは、とある一人の男だった。

「40年前に下宿先で一緒だった赤松裕介君という、放送作家志望の子がいたんです。それまでは東京で活躍していたんですけど、25年ぐらい前パリに渡ってデジタルアート作家に転身したんですよね。

それから、向こうではすごい評価をされてたらしく。去年の暮れに、共通の知り合いから話を聞いてじゃあちょっと電話してみようってことで、約40年ぶりぐらいに話したんです」

久しぶりの電話にふたりは大いに盛り上がった。お互いの近況を話したところ、相手は書道のことを知ってくれていたそうだ。

「そしたら『今度一緒にやりましょうよ!」という話になったんです。普通日本でやると思うじゃないですか。そしたら「カンヌでやりましょう」って言うんですよ。あまりに信じられなくて、途中まで騙されてんじゃないかと思ってました。

なので契約書を書くまでは、なかなか発表できなかったですよね(笑)」

今年の5月にカンヌ国際映画祭に無事展示することができた。今後も引き続き海外に目を向けているという。

「やっぱり海外には目を向けてますね。書道でアメリカでもヨーロッパでも、いろんなところに行ってみたい。テレビの司会という仕事も書道も歌も、本の出版もそうだけど、チャンスがあれば、どんどん続けていきたいとは思ってます。俺なんてってまず思っちゃいけないですよね。やりたいことは恥ずかしがらずに言っていく。

前向きにいろんなことにチャレンジしていく――。それこそが元気でいる秘訣かもしれないですね。もともとそういうところはあったけど、今後はスケールをより大きくしていきたいなって思ってます」

今、彼は再び夢の続きを描こうとしている。新たな挑戦を前に見せたその笑顔の奥に、言葉にしきれない軌跡が宿っていた。

かつて司会を務めた『タイムショック』(テレビ朝日系)の決めポーズをしてくれた中山秀征 撮影/齋藤周造
かつて司会を務めた『タイムショック』(テレビ朝日系)の決めポーズをしてくれた中山秀征 撮影/齋藤周造
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取材・文/桃沢もちこ 撮影/齋藤周造