移動をめぐる統治
「個人の移動」に対する政策的な介入は、国家権力の根底にあり続けてきたものであり、それ自体は新しいものではない。しかし、新自由主義的な政治が支配的な今日の状況では、自由な移動を促進する・移動の希望を叶えるという理由で、政策が個人の移動にさまざまな方法で介入するようになっている。
国や自治体は、「移動は個人の自由ですよ」と言いつつ、さまざまな仕組み・仕掛けを駆使して、移動を誘導・操作しようと試みることで、「理想的な移動」「良い自由な移動」と「理想的でない移動」「悪い自由な移動」を選別し、国家を維持、発展させようとしてきた/している。
また、移動の価値が高まる一方、グローバル化による社会や共同体の流動性も高まり、新たな不確実性やリスクへの対応を理由に、移動への政策的な介入が「必要」と判断される場面も増えている。
移動への政策的な介入は、移動をめぐる格差や不平等の解消のために必要不可欠であり、良い効果もたくさんもたらしている。田園回帰と呼ばれるような、農山村に惹かれる人々の背中を押したり、その結果として、消滅の危機に瀕した地域の希望になったりしている。
また、地域の公共交通を維持させたり、移動手段が限られる買い物難民を救ったり、感染症の拡大を防いだりといったケースではポジティブな成果も多々出ている。
半数が移動格差解消への政府の支援に同意
では、こうした移動に対する政策的な介入を、人々はどう思っているのだろうか。
今回の調査で、「政府は移動の自由をめぐる差を解消するために支援を行うべきだと思いますか?」と聞いたところ、同意する人は49.0%、同意しない人は33.0%、わからない人は18.0%であった。
つまり、約半数の人は、移動の自由をめぐる格差の解消に政府が介入することに同意しているわけである。一方で、約3人に1人は同意しないという実態も見えてくる。