移動できる人、移動できない人

移動手段が飛躍的に発展し、便利になったと言われる世の中だが、以前よりも移動しにくい人や、移動できない人も多くいる。世界中を旅行したり、移住を繰り返したりする人がいる一方で、日々の買い物に行くことさえも一苦労という人がいる。

「移動に困難を感じている人」や「移動したいけれど、移動できない人」とは一体どんな人だろう。逆に、自由に移動し続けている人々は、一体どんな人なのだろうか。

こうとも言えるだろう。実は、現代社会には、「移動できる人」と「移動できない人」の間に大きな“格差”が存在するのだと。そして、私たちは、無意識のうちに移動できる人ほど“格”が高い“勝ち組”で、移動できない人、移動しない人は“格”が低い“負け組”だと思っていないだろうか。

移動をめぐる困難や苦労を抱えたり、不平等さを感じたりしている人はたくさんいる。それは非日常的な出来事が起きたとき、一段と顕著なものとなり、可視化される。最たる例が、「災害」だ。

2005年、大型のハリケーン「カトリーナ」が、アメリカを直撃した。死者1800人以上、アメリカ史上最悪の自然災害と言われている。当時小学生だった私も、水没した街の映像が鮮明に記憶に残っている。

大型のハリケーン「カトリーナ」で被害に遭った民家
大型のハリケーン「カトリーナ」で被害に遭った民家
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ハリケーンが街を襲ったとき、中流階級以上の白人たちは、自動車や連絡手段、通信手段を持っていたために比較的早く逃れることができたという。しかし、オンラインやオフラインのつながりが乏しい人たちは取り残された。自力ではどうにもならず、行政に身を委ねるしかなかった犠牲者の多くは、貧しい黒人住民や高齢者だったと言われている。

それから約20年後の2024年1月1日、私は電車に乗り地元の長野県に向かっていた。帰省に加えて、専門である地方移住に関する調査研究のためだった。ところが16時過ぎ、電車は緊急停車した。能登半島地震が起きたのだ。

いつ動き出すかわからない電車の中、小さな子どもがいる家族やお年寄りの方は、電車を降り、近くの宿泊施設へと歩いて向かった。待つこと数時間、電車は動き出した。