アマゾンは「資本主義よりも邪悪な何か」だ

ここは「市場」と言える街ではない。超資本主義のデジタル市場の一形態でさえない。どんなにひどい市場であっても、そこは出会いの場であり、人々が接触し、それなりに自由に情報をやり取りしている。

実際には、アマゾン・ドットコムは完全な独占市場よりもたちが悪い。少なくとも独占市場では、買い手同士が話をしたり、協会を作ったり、不買運動を起こして独占的な売り手に値段を下げさせたり、品質を上げさせたりできる。

だが、ジェフの領土ではそういうわけにもいかない。あらゆるモノと人を仲介するのは、中立的な市場の見えざる手ではなく、ジェフの利益のために働き、彼の好みにだけ合わせて踊るアルゴリズムだからだ。

商品を注文すれば数日以内に自宅まで届き、すでに私たちの生活に根付いている
商品を注文すれば数日以内に自宅まで届き、すでに私たちの生活に根付いている

それでもまだ恐ろしくないというなら、このアルゴリズムはアレクサを通して私たちについて学習し、私たちの欲望をつくり出しているアルゴリズムと同じものだということを思い出してほしい。あまりの傲慢さに嫌な気持ちになるはずだ。

私たちがリアルタイムで学習を手助けした結果、私たちの裏も表も知り尽くしたそのアルゴリズムが、私たちの好みを変化させ、その好みを満足させる商品を選んで配達させているのだ。

それはまるでドン・ドレイパー(注:ドラマ『マッドメン』の主人公で伝説的な広告クリエイター)が私たちに特定の商品への欲望を植えつけたうえで、さらにどんなライバルも押しのけて、即座にその商品を玄関口に配達する超能力を手に入れたようなものだ。

しかも、それはすべてジェフという男の富と権力をより増大させるためのものなのだ。自由主義者であれば、これほどまでにひとりの人間に力が集中していることに震え上がるはずだ。

市場という考え方を(そして、もちろん自律的な自己という考え方を)信じる人であれば、このような力を持ったクラウド資本(注:インターネットの登場によって生まれた新しい形の資本)は、市場の死を告げる弔いの鐘であることがわかるだろう。

市場に懐疑的な人も、とりわけ社会主義者なら、アマゾン・ドットコムは資本主義が行きすぎた存在だから悪者だ、などという甘い思い込みは間違いだったと気づくべきだ。

なぜなら、実のところアマゾンは資本主義よりも邪悪な何かだからだ。