私たちはアルゴリズムの召使いである

自分自身よりもよく自分のことを知っている誰か、あるいは何かに対して、無防備になってしまうのが人というものだ。実際、ほかの人間に対してよりも、心を持たないアルゴリズムに対してのほうがより無防備になるのかもしれない。人は作りものの安心感に惹かれてしまうのだ。

私たちがアレクサを人間のように扱うのは、機械と話すのに慣れていないからだ。そうでもしないと機械と話すのは恥ずかしいし、気味が悪い。

だが、アレクサは人間ではないことをみんなわかっているからこそ、機械にだったら自分たちのことを詳しく知られても仕方ないと考えるようになった。自分のことをよく知っているのが人間であったら、気味が悪くて仕方ないだろう。

アレクサが人間でないことを知りながら、あたかも人間のように接するようになったその瞬間、私たちはこれまで以上に無防備になった。アレクサのことを、神が与えてくれた自分だけの機械仕掛けの奴隷だと思い込む罠にはまっていったのだ。

ところが、残念ながらアレクサは奴隷ではない。むしろアレクサはあなたを奴隷に仕立てるクラウドベースの「支配・命令する資本」の一部だ。あなたの助けと無償労働によって、この資本の所有者をさらに金持ちにすることを目的にしている。

オンラインでこうしたアルゴリズムのサービスを利用するたびに、アルゴリズムの所有者と私たちは悪魔的な取引をするしかない。

アルゴリズムの利用は、ビッグテック企業との「悪魔の取引」だ
アルゴリズムの利用は、ビッグテック企業との「悪魔の取引」だ

アルゴリズムが提供してくれるひとりひとりに合ったサービスを利用するには、彼らのビジネスモデルに屈するしかない。それは、私たちの個人情報を収集し、私たちの行動を追跡し、私たちのコンテンツを気づかれないように編集することを前提としたモデルだ。

私たちがいったんこれにしたがうと、アルゴリズムは私たちにモノを売りつける一方で、私たちの興味関心をだれかに売りつけるビジネスを展開する。その時点で、アルゴリズムの所有者に計り知れない力を与えるような、より深遠ななにかが動き出す。

私たちの行動を予測し、嗜好を操り、判断に影響を与え、気持ちを変えることによって、タダで奉仕する召し使いへと私たちを貶める力だ。

自分の情報と関心とアイデンティティ、あらゆる行動パターンを捧げることによって、アルゴリズムを学習させるのが私たちの仕事になる。

でも、そんなことはこれまでにもあったのでは? クラウド資本はほかの資本と根本的に違うのか?

たとえばハンマーや蒸気機関やテレビ網とどれほど違うのだろう?