会社員、カフェバー経営から一転。40歳目前でアイドルデビュー

1976年6月19日生まれで、今年6月に49歳を迎える乙ナティック浪漫ス(以下、オトロマ)のメンバー・鈴瑚さん。

同年の主な出来事には、田中角栄元首相が逮捕されたロッキード事件、映画『JAWS』の大ヒットなどがあり、同学年の有名人としては、観月ありさ、香取慎吾、元サッカー日本代表・中田英寿らがいる。

彼女がアイドルとして歩み出したのは2015年のことで、翌年からオトロマとしての活動をスタートさせた。それ以前はイベントコンパニオンやエキストラ、アパレル系の会社員やカフェバー経営などと渡り歩き、アイドルとは無縁の人生だったという。

ライブ中の鈴瑚さん(写真/本人提供)
ライブ中の鈴瑚さん(写真/本人提供)
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「もともとロック系の音楽が好きで、小学生の頃から器楽部やブラスバンドで活動していました。中高生のときはバンドブームだったこともあり、私もドラムを叩いていて、将来は音楽の道に進みたいと思っていたんです。

でも、18歳のときに母が長期入院してしまって。父とはすでに離婚していましたし、本当は音楽の専門学校に行きたかったのですが、とてもそんな状況ではありませんでした。高校卒業後はイベントコンパニオンやエキストラなどをしながら、アパレル系の会社に就職したのが24歳のとき。

高校生時代の鈴瑚さん(写真/本人提供)
高校生時代の鈴瑚さん(写真/本人提供)

しかし、東京で暮らすのはお金がかかるので、生活のために夜はキャバクラでも働きました。そこで資金を貯めて、29歳のときにカフェバーをオープンしました」 

カフェバーの開業は、彼女が長らく抱えていた虚無感と音楽への愛が融合した結果だったという。

「何もない自分に自信が持てず、『何かを成し遂げたい』とずっと思っていました。それで、当時の自分にできたのが、カフェバーだったんです。

欲を言えばライブハウスとかもやりたかったんですけど、そこまで資金があるわけではなくて。でも、音楽は好きだったので、アコースティックで演奏できるようなお洒落なカフェバーを開きました」

カフェバー経営時代に店内にて(写真/本人提供)
カフェバー経営時代に店内にて(写真/本人提供)

営業はオープン直後から順調だったそうだが、2014年に突如、閉店。きっかけは、この3年前に発生した東日本大震災だった。

地元の友人が福島に移住していたこともあり、震災をより身近に感じた鈴瑚さんは、「明日死ぬかもしれないのに、今のままでいいんだろうか」と、後悔のない生き方を選ぶようになったという。

そこで浮かんだのが、かつてあきらめた音楽だった。以前と比べて経済的な余裕もできていた30代後半、「チャレンジするなら今」と考え、物件の更新タイミングで店を閉じる決断をした。

しかし、同じ音楽でも、なぜそれまで無縁だったアイドルという道を選んだのだろうか。