20代でも九九ができない、漢字が書けない少女も
A氏が勤務していた女子少年院では、薬物や窃盗の罪を犯し、家庭裁判所で少年院送致の決定を受けた女子少年を、100人に満たない規模で収容していたという。
A氏の勤務形態は、日勤日は9時から17時まで、週に1回の夜勤日は仮眠を取りながら朝から翌朝まで勤務するというものだった。
収容者のほとんどが義務教育を受ける年代であるため、日中の大半は教育活動が行われていたという。
「収容されているのは、小学生以上の12歳から23歳の少年で、知的レベルもさまざまです。そのため、教育活動といっても、教室で黒板を前に全員が同じ内容を学ぶのではなく、個々の理解度に合わせて進めます。学習は5教科ごとの教材を用いて行い、法務教官は常に教室内を見回り、少年たちが挙手した際には質問に答えます。
また、独居室にいる少年は室内にブザーがあるので、そのブザーが鳴ったら対応に向かいます。IQ70台の『境界性知能』の少年も多く、20代でも九九ができない、漢字が書けないというケースもありました」
刑務所と同様に、女子少年院でも日常生活において私語は厳禁である。ただし、収容者は少年であるため、1日1回または2日に1回は必ず少年と教官が話す時間が設けられていたという。
当時20代だったA氏は、ほぼ同年代の少年たちから、次のような悩みを打ち明けられた。
「親がヤクザで、幼い頃から薬物が身近にあった19歳の子でした。全身には立派な刺青が入っていましたね。その子は同年代の友人と共に海外まで薬を仕入れに行き、売人をしていました。
そして、『更生できたとしても、あの子(友人)との関係を断ち切って新たな人生を歩むのは簡単だけど、それだけで本当にいいのだろうか』と悩んでいたんです。
難しい問題でした。2人で一緒に考えながら、『断る勇気』や『危険を察知する力の身につけ方』など、さまざまな選択肢を模索しました」