「論理的に考える」と「理論的に考える」はまったくの別物だった! では具体的にどう違うのか?
法廷を舞台にした物語は、たいてい対立と緊張に満ちているが、その厳格な場所で実践されてきた論理的思考には、実は人と人とを結ぶ温かな知恵が隠されている。司法試験をはじめとする法律資格受験指導校「伊藤塾」を主宰し、30年以上にわたって、法律家や公務員を目指す人たちや法律の世界で活躍する人たちと関わってきた伊藤真さんの著書『考える練習』(サンマーク出版)より一部抜粋、再構成してお届けする。
考える練習 #3
論理的に考えることは相手に対する優しさのあらわれ
自分と他人は違うのだから、伝わらなくてあたり前。説明しないと、伝わらない。そういう前提で考えたほうがいい。
だから、共通に理解しあえるところまで深く掘り下げて、伝えていくために「論理的に考える」ことが必要になってくるのだ。
結局、「論理的に考える」とは、他者を尊重するということになる。相手の立場を尊重したり、相手の立場に立ったりするから、相手にもわかるように論理的に考えて説明しようと思うのである。
裁判や法律が論理的なものというイメージがあるのは、人はそれぞれ違っていて、対立することもあるので、論理的なものが必要になるからだ。
そう考えると、ディベートと「論理的に考える」のも少し違うことがわかる。ディベートは勝ち負けの世界だが、「論理的に考える」のは、勝ち負けではない。むしろ、いかに相手と共有できるかということを目的としているから、説得に近い。相手に自ら納得して動いたり、行動したりしてもらうために、論理的にこちらの考えを伝えていくことが目的だ。
決して相手を言い負かしたり、自分の立場を押しつけたりするために論理的な考え方が存在しているのではないことを覚えておかなければいけない。
自分と相手はそもそも違う。だれ一人、同じ人間はいない。だから、共通の物差しを探し、歩み寄る。論理的に考えることは、相手に対する優しさのあらわれである。
文/伊藤真
1958年、東京生まれ。伊藤塾塾長。81年、東京大学在学中に司法試験合格。その後、受験指導を始めたところ、たちまち人気講師となり、95年、「伊藤真の司法試験塾(現、伊藤塾)」を開設する。「伊藤メソッド」と呼ばれる革新的な勉強法を導入し、司法試験短期合格者の輩出数全国トップクラスの実績を不動のものとする。「合格後を考える」という独自の指導理念が評判を呼び、「カリスマ塾長」としてその名を知られている。現在、弁護士として、「1人1票」の実現のために奮闘中。
2025/1/30
1,540円(税込)
176ページ
ISBN: 978-4763142030
選ぶ、決める、進む、やめる。
そんなとき、どう考えればいいかというと――。
【こんな人にオススメ】
・「自分の頭で考えろ」と言われても、よくわからない
・「頭のいい人」がふだんやっているアプローチが知りたい
・なにかを「選択」するとき、自信を持って答えを出したい
・「考える力」を手に入れて、人生の不安を解消したい
私たちは学校で、知識をつめこむことや
正解を探し出すテクニックは、長年教えられてきた。
いまは、知識をたくさん持っていることより、
それを使って「どう考えるのか」が重要になっている。
「考えろ」と言われて、ただじっとして
ひらめいてくるのを待っていても、考えは浮かんでこない。
「考える練習」として、こんなやり方や観点がある
という事例を、いくつか知っておくことで、
自信を持って答えを出し、
前向きに進むことができるようになるのだ。
仕事でも人生でも、私たちはさまざまな「選択」をしている。
どんな商品が売れるのか。どんな企画が当たるのか。
仕事でだれと組むべきか。どの事業に参画すべきか。
司法試験を目指すべきかやめるべきか。
どの会社や大学に入るのか。
どこに住むのか。だれと結婚するのか……。
「唯一の正解」というものはない。
でも、自分で考えて、選択をしなければならない。
そんな「未知の問題」に対して、「答えをつくり出す」。
これこそが、「考えること」である。
「考える力」を育てることは、
自分の選択や人生に納得し、迷いを消し去ることにつながる。
司法試験をはじめとする法律資格受験指導校「伊藤塾」を主宰し、
40年以上にわたって、法律家や公務員を目指す人たちや
法律の世界で活躍する人たちと関わってきた著者による、
「考える練習法」の集大成。
さあ、「考える練習」を始めよう。
【目次より】
第1章 「考える練習」の最初の一歩
第2章 「日常生活」の中で鍛える練習
第3章 「論理的」に考える練習
第4章 「論理的」に伝える練習
第5章 考える「精度」をあげる練習
第6章 考え続ける、考えるのをやめる
第7章 「想像力」を広げる練習