「論理的に考える」と「理論的に考える」は別物

その過程では、異なる物差しや根拠が示されることもある。たとえば握ったから指紋がつくのはその通りかもしれないが、彼は握っていないのに、ほかの誰かが彼の指紋をそこにつけた可能性もあるかもしれない。

あるいは握ったとして、それを使って刺したとは限らない。家でふだん使っていたナイフを犯人が持ち出して利用しただけかもしれない。

こんなふうに別の根拠や因果の法則を持ち出して、もっともな結論に反対する結論で説得する。それが裁判だから、まさに裁判の過程は論理的な説得の過程そのものといえよう。法律は、論理的に考える練習の連続だ。

「論理的に考える」と「理論的に考える」はまったくの別物だった! では具体的にどう違うのか? _3

私は日常生活でも、「その根拠って?」「結論は何?」と自問自答しており、この思考がしみついているようだ。だれかと話しているときも、おたがいが理解できる「物差し」を探しながら話している。

こうすることで、考えるスピードが速くなり、決断も速くなり、自信をもって行動できるようになった。神頼みもときにはいいかもしれないが、論理的に考える練習をすることの効果は計りしれないと思っている。

ところで、「論理的に考える」のと似た言葉に「理論的に考える」がある。両者は似ているが、まったく別物だ。

「理論的に考える」ほうは、何か決まった「理論」があって、それにあてはめて考えていくことだ。

「論理的に考える」ほうは、目的を持って、根拠づけを行いながらみずから結論に導いていく過程のことをいう。「論理的に考える」ことにおいては、根拠づけが重要になる。なぜ重要なのかというと、「相手と自分は異なる存在」なのだという大前提があるからだ。