そもそも人は、何かに依存して生きている
「戦前、アルコール依存症といえば人格破綻者で、『治らない、治療お断り』の状態でした。戦後、AA(アルコホーリクス・アノニマス)や断酒会やお互いに支え合う自助グループが普及し、アルコール依存症の克服が現実化した。自助グループには社会的に発言する人も多く、アルコール依存症への偏見も、徐々に払拭の方向に動きました」
松本俊彦医師は、そもそも依存症という言葉が好きではないと話を続ける。
「『自己責任だ』『自立しろ』とか、依存がいけないかのような言葉を、近年よく耳にしますが、そもそも人は、何かに依存して生きています。例えば仕事のあとの一杯のビール。コーヒーやタバコで一服して気持ちを切り替える。友人や家族や恋人との会話を楽しみ、ときには愚痴を聞いてもらいストレスを軽減したり。自立している人は、いろんな依存先があるものです。
治療を必要とする依存症者は、人に愚痴ったりボヤいたり助けを求めたりせずに、化学物質だけで自分を支えようとする人たちです。依存症とは、『安心して人に依存できない病気』と言えるかもしれません」
覚せい剤に関して厳罰主義の日本では、1回でもやればその目くるめく快感のために中毒になってしまう恐ろしい薬物。「ダメ。ゼッタイ。」「覚せい剤やめますか?それとも人間やめますか?」等々、覚せい剤追放キャンペーンの標語が繰り返し喧伝され、人々の頭に焼き付いている。
だが……。
「ある調査によると、遊び心で手を出しても、覚せい剤の依存症になるのは15%程度だといいます。人間は飽きっぽい。目くるめく快感といっても、依存症に陥る人は限られていることが想像できます」
ではなぜ、医療の支援が必要なほど、アルコールを含め薬物の依存症に陥ってしまうのだろうか。
「すべての依存症が当てはまるとは言えませんが」と前置きし、松本医師は「自己治療仮説」という、米国の研究者が提唱した依存症の深層心理を解説する。