興味があるのは「その人がどうやってできたか」

――今回印象的だったのが、家康がキュートなんですよ! 特に最終話で ( ねてるところとか。村木さんは司馬遼太郎さんのお宅で働いていらっしゃったわけですが、司馬作品の家康像は憶病で狷介 ( けんかいというものが多かったように思います。司馬さんの解釈の影響はあまりないんでしょうか? 

村木 いえ、それは確実にあると思います。先生が言っていたのはこういうことなんだなって鵜呑 ( うのみにするところ、ものすごくあるんです。けど、司馬作品を読んでいるときって一読者なんで、それを土台にしようという発想にはならないですね。
 ただ、たとえば司馬先生がエッセイか何かで、仕えるんだったら家康がよくて、信長 ( のぶながはやっぱり大変だと思うみたいなことを言っていたのとかが、知らず知らずのうちに自然に頭に入っていたっていうのはあると思います。それはもう自然に影響を受けているというか、そういうものだってインプットされているので、信長、秀吉 ( ひでよし、家康とかの評価や人物像に関しては、もうブレはないですね。もしかしたらこういう人だったんじゃないかみたいなこともあんまり考えない。

――三方ヶ原の戦いで屈辱的に描かれることの多いシーンを、家康が側近に「 ( かわやへ連れて行ってくれ」と頼み、家臣が笑ってしまうという、結構ユーモラスな展開にしていますよね。これはあえてポップに見せようという判断ですか?

村木 うーん、実は私、あまり読者を驚かせるためにたくらんだりはしないというか、全部本当にそうだったんだろうと思って書いているんですよ。さっきの、阿部大蔵の息子の件もそうなんですが、こうしたほうが読者に受け入れられるとかってところまで頭が回らなくて。
 三方ヶ原でも、こんな珍妙な話が残っているのはなんでなんだろうと考えると、やっぱり本当にそういうことがあったからだろうと、素直にそう思うわけです。で、この話に信憑 ( しんぴょう性があると思ったら、なぜそんなことになったのかを考えていく。もともと家康は武田信玄 ( しんげんに勝てるとは思っていなくて、でも頭の上を踏まれるように通り過ぎられるのも嫌だし、とりあえず行ってみた。そしたら三方ヶ原で武田軍がざーっと、一斉にこっちを向いてきて─そしたらもう、ごめんちょっとトイレ、って感じになるだろう、それが自然だろうと。

――何かそこで歴史の新解釈を提示するというのではなく? 三方ヶ原敗走の真相はこうだったんだ、みたいなことは考えないのでしょうか?

村木 そういうことにはまるで興味がないんです。それより、この人はどんな人だったんだろうというのを書きたい。奇を ( てらおうとか、定説をひっくり返そうとかはまったく考えていないです。興味があるのは、出来事よりも人です。最初に、鳥居元忠が好きだという話をしましたけど、伏見城で鳥居元忠はなぜそんなに長く耐えられたのか、この鳥居元忠という人間はどうやってできたのかというところにまず惹かれるんです。あの、私、あんまり友達がいなくて……。

――えっ、突然どうされました!?

村木 あ、いえ、別に友達がいなくてもそんなに苦じゃないタイプなんですよ。ただ小説を書いていると、登場人物と友達になりたいなって思うんです。えっと、なんか、すごくカッコつけて言っているように聞こえるかもしれないですけど、本当にこの人と、自分が書いている主人公と話したいって思うんです。
 そういうとき、自分で一から造形した人物だと自分の分身みたいなもので、実際には存在しないですよね。でも歴史小説の登場人物って実在した人なわけで、その人をもっと知りたい、ってなるんです。友達のいない私が、この人と友達になりたい、この人をもっと知りたいって思う。人と会話をしていると、なぜこれだけ言っているのにわかってくれないんだ、みたいなことってあるじゃないですか。でも歴史上の人物だとそういうことがなくて、調べれば調べるほど、ちょっとこの人に近づけたんじゃないか、通じるものが見つかったんじゃないかという、なんとも言えない喜び、達成感があるんですよ。あ、なんかわかった、と思える瞬間の嬉しい気持ちというか。
 歴史小説を書いていて、ああ、この人、こういう人だったんだってわかったときの喜びは格別なんです。だから歴史の新解釈とかではなく、自分の見つけた「この人はこういう人なんだ」というのを小説で書いていきたいです。

――なるほど。今回、第九話「出奔」は石川数正 ( いしかわかずまさが秀吉側に移った動機の話で、この解釈には私は感心したんですが、これも「数正出奔の真相はこうだ!」ということで書かれたわけではないんですね。

村木 はい。そういうことではまったくなくて。ただなんとなく、私のなかで、こうだったんじゃないかなと思ったんです。数正が出ていく理由が他に思い当たらないなって。

家康は仕方なく出馬した人

――この人はこういう人だ、という掘り下げがさまざまな場面に生きているんですね。そのなかでも、今回友達になりたいと思った、もっと知りたいと思ったのが鳥居元忠だったわけですが、村木さんのなかで、忠吉、元忠、家康はそれぞれどういう人物だと思われますか?

「つながる人、思い、物語」『いつかの朔日』 村木 嵐インタビュー_4
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村木 忠吉は、何があろうとブレずに家康が大事っていう人。
 元忠は、そういうお父さんのいじらしさみたいなものにほだされたというか。きょうだいもいっぱいいるわけですから、自分ひとりくらいはお父さんに付き合ってやるかと。それで家康に惹かれ、最終的にあそこまで行ってしまった。鳥居元忠と伏見城、というだけでもう、うるうるしちゃいますから(笑)。伏見城籠城の新解釈を描く小説もあると思います。でも私はそちらではなくて、鳥居元忠はどうしてあれだけ頑張れたのか、というところを書きたいんです。
 家康は、やらなくちゃいけないっていうのはわかっているけど、どんどんみんなに期待を背負わされて、もう大概にしてくれってずっと思いながらきた人じゃないかな。お家再興ぐらいは思っていたかもしれないですけど、天下取ろうとまではきっと考えていなかったと思うんですよね。だけど、あんまりみんなにそう言われるから、やむを得ずというか、追い詰められていったというか、仕方なく出馬したみたいな人物像ですね。
 私、家康ももともとすごく好きなんですよ。だけど家康が何をしたかということよりも、そんな家康がどうしてできたのかっていうところのほうに興味があるんです。家康の小さい頃を直接掘り下げるよりも、周りを掘り下げるほうが楽しいというか……。

――なるほど。第一話の清康暗殺、いわゆる「守山 ( もりやま崩れ」ってすごく謎が多い事件なので、その謎を解き明かす歴史ミステリにもできるわけですが、そうはしなかった理由がわかりました。あくまでも犯人の父親である阿部大蔵の物語なんですね。他にもいろんな人物が出てきますが、『いつかの朔日』のなかで、さっきの言い方をするなら「この人はこういう人なんだ」とすとんと腑に落ちた人物はいますか?

村木 第二話の於大 ( おだい(家康の生母)ですかね。於大が離縁させられるとき大暴れしたというのは創作ですが、本当にそういうことがあったんじゃないかな。 ( ふすまに飛び蹴りしたり、壺をガシャーンって割ったりとか。ちょっと私もやってみたいと思うようなことを代わりにやってくれて。それぐらいパワフルな人だったに違いないと思ってて、もう自分のなかで於大はそういう人だってことになってしまっているので、どこまでが作り話なのかもわからなくなってるんですが(笑)。

――そうやって人物像から掘り下げていくということになると、複数の作品に同じ人物を登場させるときも、造形に齟齬 ( そごはないということですか? よくドラマなんかでは、家康が主人公だと秀吉が悪役だったり、その逆だったりということがありますが。

村木 そうですね。さっき言った『まいまいつぶろ』の乗邑くらいでしょうか。他の人に関しては、それこそ司馬先生が言っていたことが染み込んじゃってるところもありますし、いまさら違う人物像にはできないというか……。『またうど』にしても、私は家重とか忠光 ( ただみつが大好きで、いい人として『まいまいつぶろ』を書いちゃったので、もうそこから身動きできないっていうところもあります。
 それと同じで、鳥居元忠の伏見城籠城は人生のハイライトというか、彼の人生を代表する部分なので、そこと矛盾するような造形にはできないですよね。他の作品に元忠を出すにしても、伏見城籠城をやった人物だというのは動かせないわけですから、ブレることはないと思います。
 たとえば、元忠の奥さんとの話っていうことになれば、全然違うところを書いたりはできるでしょうけど。

――ひとつの作品を書いている最中に、いろんなものに興味を持ってしまうというお話が出ましたが、この先、書いてみたいことや、書いてみたい人はいますか?

村木 今、書いているのが大田南畝 ( おおたなんぼ ) 。それと、今度書こうと思っているのが、松東院 ( しょうとういん ) っていう大村純忠 ( おおむらすみただ ) (戦国時代のキリシタン大名)の娘です。あと、田沼意次の次の代の人たちがどうやって相良城 ( さがらじょうに戻ってくるかっていう話も書きたいなと思っています。それと、そうだ、杉田玄白 ( すぎたげんぱくとか。

――あの話を書いているときに拾ったんだなっていうのがわかる人物もいますね(笑)。

村木 そうなんです。本当に、拾ってしまって。なんか、そっちのほうに、ぐーって行きたくなるような出会いがあるんですよね。その人と友達になりたいって感じで追っかけてしまう。この癖はどうにかしなければ(笑)。

「小説すばる」2025年1月号転載

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