「結婚式の“前金制度”を作ったのは私」

そのトレードマークのリーゼントもあいまってか、今では有名人となった森田社長。実は「結婚式の“前金制度”」の産みの親なんだそう。それもそのはず、現在の「ブランド王ロイヤル」を開業する前は敏腕ホテルマンだった。

「大学卒業後、最初の就職先はホテルオークラでした。客室勤務を経て、2年後に経理課勤務となり、ホテルの不良債権の回収担当となりました。

今から50年ほど前で、指定も暴対法もない頃。暴力団、右翼、悪徳弁護士、総会屋などによる、脅しや暴力行使は当たり前でしたね。

殴られたり、スーツやワイシャツをビリビリに破かれたりしたものです。暴力団の事務所へ行って交渉したこともありました」

当時の森田社長は20代後半。現代のブラック企業でもありえない地獄のような職場だが、ほどなく交渉のコツをつかんだという。

「相手の話を聞いて、心を開かせる。”ホテルに非があれば減額”、”お金がないなら長期分割での返済”といった、具体的な案を提示するんです。すると、『お前は話が分かるな』と。おかげで創立以来の回収率を誇れるまでになりました。

また、現在は当たり前である結婚式の“前金制度”を作ったのは私なんですよ。

昔は結婚式も不良債権になりやすかったのです。『ご祝儀も入ることだし』と、どこのホテルもだいたい5万円程度の申込金で式を挙げていて、終わった後に費用を請求すると『お金がない…』と言い出されるなんてことも結構あったんですね。

そこで私は、式の前に料金の大半を入金してもらう制度を考案しました。『これはいい!』と、あっという間に都内のホテルに広まりましたね。

そんなこんなで結果、5年間で約10億円の不良債権を回収。オークラ始まって以来の2階級特進を果たすことができました」

ホテルオークラ時代の森田社長
ホテルオークラ時代の森田社長
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そんな森田社長は交渉術だけでなく、営業でも頭角を表す。

「当時は夏になるとみんな海や山に行ってしまうため、都心の宿泊施設は閑散期でした。それに対しての対処策で、社長からホテルオークラの全従業員1500人に、閑散期にお客様を呼び込むキャンペーンの案を出すよう御触れが出たんです。

そこで私は、女性限定で1泊朝食付き、プール利用可、ワンドリンク付きで8800円というプランを考えました。告知のポスターを作成し、大手銀行や百貨店など、女性従業員が多い職場の社員食堂なんかに貼らせてもらいました。

そうしたら翌日から、ホテルの電話は鳴りっぱなし。結局、私のアイデアだけで約3000泊の予約に繋がったんです。

これがのちの“ホテルのレディースプラン”。これも私が生みの親なんですよ」

今では自然に使われている“ホテルのレディースプラン”や結婚式の前金制度も、森田社長のアイデアだったとは参りました!

では、そんな敏腕ホテルマンがなぜブランド品の買取業を…? 後編では、ホテルマンから買取業への転機、トレードマークの巨大リーゼントの誕生秘話について語ってもらった。

PROFILE  森田勉●1945年、東京生まれ。ホテルオークラ、ホテル小田急センチュリーハイアット(現ハイアットリージェンシー東京)勤務を経て、1985年、不動産仲介業「ロイヤルシステム」設立。1995年「ブランド王ロイヤル」を新宿西口にオープン。買取強化期間は社名を「買取王ロイヤル」に変更。メディア出演多数。また40年前からボランティア活動をライフワークとし、ロータリークラブ・東日本大震災・ユニセフなど、収益の一部を子ども食堂に寄付。「森田式少子化対策」の国家ビジョンを確立し、国とともに協議を行っている。

取材・文/木原みぎわ