原監督の敗因と引責辞任

2023年9月14日、甲子園球場で行われた巨人戦で阪神が18年ぶりのセ・リーグ優勝を決めたとき、巨人の2年連続Bクラスもほぼ決まった。2019年から5年間続いた、第3次原監督の時代が終わった日でもあった。

原は2002年に巨人の監督に就任すると、いきなりリーグ優勝と日本一に輝いた。その後も通算17年の監督生活で計9度のリーグ優勝と3度の日本一を達成し、2020年には川上哲治監督の1066勝を抜き、通算1291勝は巨人の監督として最多記録である。

だが、きら星のような実績を誇る原の記録に陰りが出たのはこの3年間だった。2021年が3位に終わると、2022年からは2年続けて4位。球団初の2年連続Bクラスが決まった9月29日には「監督がどういう役割かはわかっている。新しい力に託すべきだと思った」と語り、山口寿一オーナーに辞意を伝えた。3年契約を1年残しての引責辞任だった。

1年前の進退伺いでは「新人を積極的に使った」と評価して続投を決めたオーナーも、今回は慰留しなかった。

原の誤算はどこにあったのか。敗因はいろいろあるが、一言でいえば「人間は歳とともに衰える」という自然の法則と向き合わなかったことだ。

これまでも著書やコラムで繰り返し書いたように、原に限らず巨人は長い間、生え抜きの選手を手塩にかけて育成する努力を怠り、他球団が育て上げた主力選手をFAで補強して戦力を強化してきた。

しかし人間の体力や能力は無限ではない。象徴的だったのが丸佳浩と坂本だ。

丸は2018年に広島で打率.306、39本塁打、97打点の成績を残してFAで巨人に移り、クリーンナップの一角を務めてきたが、打率は徐々に下がり、巨人では一度も3割をキープできなかった。

またホームランも27本、打点も89をピークに下り坂を続けている。2023年はシーズンを通じて例年よりベンチスタートが多く、規定打席数にも届かなかったが、2024年は1番に定着し、打撃よりも外野の守備で貢献する場面が増えた。

写真/shutterstock
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