開幕2戦目、屈辱の「26対0」

楽天監督時の田尾氏(右)と三木谷オーナー(左)
楽天監督時の田尾氏(右)と三木谷オーナー(左)
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そしていよいよペナントレースが開幕した。歴史的開幕第一戦はエース・岩隈の好投で3対1で勝利したが、二戦目は26対0という大敗を喫した。動かしがたい戦力差は否が応でも突き付けられた。4月に11連敗をしながら、田尾はひとつのことを考えていた。

「一軍のレベルにない選手をメンバーに入れざるをえないのだから、負けるのは仕方が無い。しかし、お金を払って見に来てくださっているお客さんを一度も盛り上がらせずに帰らせるのはしたくない。だからゼロゲームだけは避けよう。そしてせめて5回までは今日は分からないぞ、というゲームを多く作ろう」

この2005年、楽天は2勝5敗のペースでシーズンを終えることになるのであるが、1試合平均失点は6.1だった。対して平均得点は3.5。例え負けても必ず盛り上がる得点シーンは必ず作ろうと心掛けた。そしてチーム内では公正な競争を宣言した。

「今まで、ベテランだから使わないとか、態度が悪いから試合に出さないとか、そういう恣意的な理由でチャンスを貰えないという選手たちがたくさんいた。僕はみんな同じスタートラインからやろうという話をして、二軍にいても結果を出したら、必ず使うと伝えました」

その基準も明確にした。先発投手なら、クオリティースタート(6イニングを自責点3点以内)を2試合継続、リリーフ投手は、1イニング無失点を3試合続けたら、それぞれ1軍に上げると伝えた。

具体的に数字の目標設定をされたことで、選手たちのモチベーションも上がった。田尾はこのやり方で、前球団で監督に干され、一時は引退を決意していた山崎武司を復活させた。

分配ドラフト、無償トレードで獲得したベテラン、自由契約からの復帰、新人…出自がバラバラの寄せ集めのような集団は、そのときそのときのベストナインを選ぶという方針のもとでひとつにまとまっていったが、大きな連敗が続くと、三木谷オーナーによる現場への介入が始まった。

「若手選手を使え」という通達が来た。育成を理由に若い選手に切り替えるのは容易であり、連敗の言い訳にすることもできるが、実力が無いのに起用を続ければ、他の選手は納得できずにチームが崩壊することが目に見えていた。

田尾は『(若手に)使える選手がいません』と拒否した。すると続いて山下大輔、駒田徳広、二人のコーチの二軍降格を告げられた。

誰かに責任を取らせるという意図だったが、『コーチが悪くて勝てないわけではありません。それなら私が辞めます』と辞表を書いて球団に持って行った(これは結局、山下コーチが、自ら二軍に行くことを受諾して田尾の辞意を留めた)。

当初は三木谷と蜜月関係にあったが、オーナーは途中から、決してイエスマンにはならず、筋を通してくる監督に対して直接のコミュニケーションを避けていった。