国内では上映禁止に
——この映画がつきつける現実を、イスラエルの人たちはどのように受け止めたのでしょうか。
デヴィッド イスラエル国内で、パレスチナの子どもたちの被害についての映画を制作し、上映するのはかなり困難なことでしたが、特に大変だったのは、映画が完成した2023年の1月、イスラエルの文化大臣がこの映画を激しく非難し、既に私たちが受けていた資金援助を取り消すと言い出したことです。その影響で映画に反対するデモが起こるなどさまざまな圧力がありましたが、逆にこの映画を見たい、という人たちも多く現れたのです。
その後国内各地を巡ってこの映画を上映しました。反応はさまざまで、このような事実を知らなかった、ショックを受けたという人たちも多くいましたし、その事実を認めようとしない人たちもいました。
印象的な出来事もありました。ある上映会のあと、ひとりの女性が私のところにきて握手を求めてきて、自分は選挙でベングヴィール(イスラエルの極右政治家)に投票したが、この映画を見たので、自分の家に戻ってしっかり考えてみたいとおっしゃったのです。
それは私にとってとても重要な出来事でした。私がなぜ映画を作るのか、それこそが答だからです。分断の中に小さな裂け目を作って、反対側にも人がいるのだということ見られるようにするのが私の仕事なのだと、そのとき確信しました。
しかし残念ながら、今ではそんな機会も失われてしまいました。昨年の10月7日以降はこの映画は国内で一切上映できなくなったからです。