同窓会にも参加

周囲への聞き込みから浮上したのは、事件前はもちろん、事件後もそうであった、決して逃走犯とは思えぬ生活ぶりである。自宅近くのパチンコ店で頻繁に目撃されていたばかりか、同窓会にも参加し写真にまで収まる。彼の地元で暮らす知人によれば何食わぬ顔で普通に暮らしていたようだ。

「東京で頑張っていたけど、親も年だし長男だから戻ってきたんだって言ってました。フェイスブックには、充実した東京での暮らしぶりを示した写真が多く載っていました。実際に会うのは久しぶりでしたけど、写真のように楽しそうにしてましたよ」

(画像) 犯人の戸倉高広。事件後、福島の実家に戻り何食わぬ顔で同窓会に参加していた
(画像) 犯人の戸倉高広。事件後、福島の実家に戻り何食わぬ顔で同窓会に参加していた

彼が縁がない土地ではなく実家での逃亡生活を選んだのは、事件前から親の庇護をアテにしていたからだ。戸倉の祖父は税理士として運転手を抱えるほどの人物だった。運転手は言う。

「厳しい家でしたよ。祖父はきっちりしていたというか、税理士そのものだった。少しでもあやふやなことを許さない性格でしたね。高広の親父さんはそうやって育てられ、孫でもある高広の教育にもいろいろと口を出していた。でも、最終的には溺愛してたけどね」

父親は祖父の仕事を手伝っていたという。孫である戸倉も当然、その後継者として期待されていた。高校での成績は良かったが、難関大学の受験に失敗。逃げるようにして親元を離れ1人暮らしを始めた東京でのカラオケ店やゴミ収集のアルバイトを経て、不動産業界に就職する。宅建の資格を取ろうとしていたが、結果、試験に落ち続けたことを機に会社を辞め無職に。それでも長年連れ添った彼女の存在が救いになった。

挫折を繰り返しながらも異常性が見えなかった戸倉が豹変したのは、その彼女と別れ、のちに復縁を迫るも断られたからである。