霊感商法は法外な金額こそが問題
これを買わないともっと大変なことになる、という呪いともいえる脅しは、内的世界のもやもやを故意に増長させて、これしかないという解決策を、よりはっきりと印象づけるために効果を発揮します。
たとえば、私はとても視力が悪いので、メガネやコンタクトレンズをつけていないとほとんどなにも見えません。ぼんやりした視界ではなにをするにも不安です。しかし、メガネやコンタクトレンズをつければとたんに世界がはっきりして、なによりもまずは安心します。霊感商法で壺を見せられた人は、そのような気持ちなのかもしれないと想像します。
私が許せないと思うのは、霊感商法がそもそもつかみどころのない不安を増大させたり、あろうことか故意に植えつけて、そこに生じるプロジェクションというこころの働きを利用し、大金を詐取していることです。そして、霊感商法が社会的な問題となるのも、まずはそのような法外な金額です。
ある時、子どもが私にお土産をくれました。出かけた先で「お守り天然石」というものを買ってきてくれたのです。パッケージを見ると「この石を持っていると、仕事にやる気がでて意欲的に取り組めるでしょう」と書かれています。
子どもが「本がうまく書けない時は、この石を撫でるといいんじゃない?」と言うので、原稿がなかなか進まなくて苦しい時(それはしょっちゅうですが)、私はやる気がでるように念じながらこの石を撫で回しています。そして、なんとなくやる気がでたような気がしないでもないと思うのは、間違いなくプロジェクションの効果です。
これが霊感商法と異なるのは、むやみに不安を煽ったりしないのは当然としても、この石が300円だからです。ただの石だと思うとちょっと高いかもしれませんが、お守りだと思えば妥当な価格です。
私も300円分のやる気がでればありがたい、くらいの気持ちで撫で回しています。神社やお寺で売られているお守りやお札、お金を払ってやってもらうお祓いの儀式なども、プロジェクションとしては霊感商法の壺と同様です。
それが霊感商法とは異なり世間で問題とならないのは、先ほどの石と同じく常識的な感覚として価格が妥当だからです。
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