力が抜ければ飛躍する
真剣、もしくは模擬刀で行なう居合道の稽古も、武道のクロストレーニングには欠かせないものです。竹刀競技を行なう剣道家が、刀の使い方を学ぶために、1969年、全日本剣道連盟によって7本の形が制定され、その後2回の追加を経て、現在は12本の居合の形があります。
振る時の重み、刃筋のライン。竹刀と居合刀では感覚が全く違います。竹刀稽古だけを行なっていると、どうしても「斬る」というより「当てる」感覚になります。そのため、打突がどんどん軽くなっていきます。相手を打つ際、「打ち切る」ことができなくなります。
居合道の形は、古流の居合術を基につくられており、実戦のさまざまなシチュエーションを想定したものとなっています。
座った状態から立て膝になり、鞘より抜刀。前後左右の敵をイメージして、突き刺す、斬り下ろすなどの技を繰り出し、残心を示しながら血振り、納刀となります。
ひとりで行なう居合道は、一種のイメージトレーニングとも言えます。しかし剣道の立ち合いと同じ意識で、真剣に行なえば、息が上がり、汗だくになります。終わった後に、めまいがするほどです。居合の稽古では、対人稽古と同じ集中力が求められます。
「腕力は使わず、刀の重さで斬る」。これは刀を振る時の鉄則ですが、居合刀で稽古をすると、その要領がわかってきます。肩の力が抜け、刃筋が通っている時のスイングは、ひゅっと音が鳴ります。
「カミソリの切れ味にナタの重さ」とも評される日本刀は、平均して重さ1キロ、長さ70センチ。よく考えれば、刀で人を斬るのに力はいらず、竹刀を振る時も、刀と同じ要領で振ればよいのです。力が入るのは手の内を使ってインパクトの瞬間だけ。
竹刀でも、力が抜けている時の打突は、音が違います。パーン!と爽快な音がします。直感的に「一本」とわかる音です。強い先生の打突にも、やはり力は感じられません。それでも振りが速く、打たれると響きます。痛くはないのですが、体の芯に響いてきます。力が抜けているので、技に「冴え」があるのです。
力を抜いて打つためには、正しい姿勢で立つことが前提となります。足腰と体幹が安定した状態で、肩の力を抜き、竹刀の重さで振り下ろします。
これは「上虚下実」の姿勢といって、腰から下が安定していれば、全身に気力が充実し、肩や腕に余計な力が入らなくなるという、東洋的な身体観です。
上虚下実は、自然体にも通じるもので、こと武道において「力を抜く」とは、全身の筋肉を一様にゆるめることではありません。下半身を安定させることで、上半身の力が抜けるのです。
相手と対峙すると、「打たれたくない」との緊張感から、肩に力が入ります。ここで息を抜き、肩の力を抜くと、少し怖くなります。力を抜くことでガードをゆるめたわけで、そこから恐怖心が湧いてくるのです。
しかしこの恐れを凌げば、速く動けるのです。肩から余分な力が抜け、動きを阻害するものが消え、体が自由に動きます。心と体は繫がっているのです。
真剣勝負のなかで力を抜くことは、決して易しいことではありません。だからこそ、この壁を越えれば、その人は大きく飛躍します。
そして「力を抜く」にも、大小いくつもの段階があります。八段をめざす私にとっても、「力を抜く」ことは大きな課題です。
「アレック、お前は力が入り過ぎている。剣道に力はいらない」。これまで何度、言われてきたことか。
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