「父はO型、母はB型、私はA型」

「両親と血縁関係がないと告げられて以来、普通に日常生活を送っていても、常にどこか欲求不満というか気持ちが晴れないんです。もしあのとき、取り違えにあわなかったら『これまでとまったく違う人生を歩んでいたかもしれない』と想像が付きまとい、毎日がどこか上の空です」

ある日突然、両親との間に血縁関係がないと告げられたら、その瞬間なにを想い、その後どのような生活を送るだろうか。

新生児取り違えの当事者である江藏智さんは、20年に渡り実親とその親族を探し続けている。自分の出自や、実親や親族がどのような人生を送ってきたのか、自身のバックグラウンドを知りたい一心で真相を追い求めた。

新生児取り違えの疑念が生まれたのは1997年にさかのぼる。母親が更年期障害で血液検査をした際、これまでA型だと思っていた血液型がB型であると判明した。江藏さんはA型、父はO型、そして母がB型と発覚したことで、一家には暗雲が立ち込めた。

しかし、当時DNA鑑定は200万円ほどかかることもあり、江藏さん一家はそのことに蓋をするように今までどおりの生活を送ってきた。

江藏智さん
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それから7年後の2004年。ふいに事態は動いた。江藏さんが体調を崩したことを機に、DNA鑑定を受けることに。かかりつけの担当医に、「両親と血液型が違う」と話したところ、その事例に関心を持った担当医が、無料でDNA鑑定を受けさせてくれる運びとなったのだ。

江藏さんは二つ返事でDNA鑑定を受けた。江藏さん自身、両親との血縁関係があってほしいと願う一方で、どこかに実親が存在しているのではないかとの期待感に近い感情も持ち合わせていた。

14歳で実家を飛び出す

こうした相反する感情を抱いていたのは、江藏さんの幼少期が関係している。

「父は都電の運転手をしており、家に帰ってくるのは不定期でした。しかも、帰ってきたとしても、たいてい酔っ払っていたんです。そしてなにかあるたび、暴力をふるいましたが、殴られるのは決まって私のみで、弟はなにも危害を加えられなかった。自分だけ家族から疎外されていると感じる瞬間があったんです。

他にも、正月に親族で集まるときには、従兄弟から軒並み『両親と顔が似ていない』と指摘され続けました。おまけに私の身長は180cm近いものの、父は160cm、母は140cmと、明らかにおかしい点もありました」

そのうち定期的に当たってくる父との軋轢は深まり、江藏さんは逃げるように14歳で実家を飛び出す。それ以降は中学校にも通わず、焼肉屋やクリーニング店など住み込みのバイトを転々として過ごしてきた。

もちろん幼少期時代は、両親と血縁関係がないと知る由もない。しかし、窮屈な家庭環境ですごした江藏さんにとって、血縁の疑念が生まれてからは「自分と馬の合う実親が存在するのでは」と密かな期待感を抱いてきた。

「もし血のつながった実親に育てられていたら、自分が14歳のときに家を飛び出さず、義務教育を受けて普通に就職していたんじゃないか……。自分がたどってきた軌跡と、まったく違う人生を歩んでいたんじゃないかという想いが常に付きまとっていました」

どこか空虚な思いを抱えてきた江藏さんにとって、DNA鑑定の受診は待ちに待った好機であった。