ノエルは音楽、リアムは喧嘩に明け暮れていた…
アイルランド人の両親のもと、マンチェスターで生まれた次男ノエル、そして5歳年下の三男リアム。アルコール依存症の父親の家庭内暴力が原因で母親に育てられた幼少時代。
ノエルはやがて音楽とギターに夢中になり、リアムは喧嘩に明け暮れるようになる。そんなある日、ハンマーで殴られたことをきっかけにリアムも音楽に目覚めた。
すでに同郷の先輩バンド、インスパイラル・カーペッツのローディをしていたノエルがリアムのいるバンドに加入して、1991年にオアシスが誕生。そして失業手当を頼りに地味に練習やライブを繰り返した結果、1993年にクリエイションとレコード契約。必死で働いていた母親に早く楽をさせてやりたいと思っていた兄弟は、この日のことを今も忘れていない。
『Supersonic』『Shakermaker』『Live Forever』と、シングルをリリースしていくにつれて人気は急上昇。
1994年8月のデビューアルバム『Definitely Maybe』は、英国音楽史上最速で売れたNo.1アルバムとなった。同年9月には初来日公演も行い、感度の高い若い世代の歓声を集めた。12月には有名な『Whatever』を発表。
翌95年10月には最高傑作『(What's the Story) Morning Glory?』で遂に世界的にブレイク。このセカンド作は世界で2000万枚以上を売り、シングルカットされた『Some Might Say』『Roll with It』『Wonderwall』『Don't Look Back in Anger』は、どれもが大ヒットした。
バンドのソングライティングを担う兄ノエル。そして独特のスタイルでマイクに向かう弟リアム。
「人に向かって歌うことで怒りを発散していた」リアムは、トラブルメイカーのロックンロール・スターとなり、乱闘事件をはじめタブロイド紙のネタに事欠かない。
一方でステージでは黙々とギターを弾くノエルは、ツアーで失踪したり、数々の問題発言(「ドラッグやるのは朝の紅茶みたいなもんさ」など)を通じてこちらも新聞沙汰に。
オアシスにはトラブルが絶えなかったが、そのたびに何事もなく戻って来るのが凄かった。普通のバンドならとっくに崩壊してしまうだろう。