なってみたら大変だった日本代表
日本代表には漠然と憧れていた。現実のものとしてパラリンピックを意識したのは高校生になってからだ。「最初は遠い存在でした。でも、中学を卒業して、国内の試合に出るようになって、自分の成長を感じられることも多くなって。そこから、もっと上を目指す気持ちが強くなりました」
そして2021年、15歳で念願の日本代表に選出された。「それまでは代表に選ばれることが夢だったんですけど、いやー、なってみたらそこからが本当に大変でしたね。ブラサカのレベルは世界的にも上がってきてて、パラリンピックに出るっていうだけでも難しいんだって」
大陸別予選のアジア選手権では、パリパラリンピックの出場権が取れなかった。「このときは本当に落ちこみました」
次のチャンスとなる世界選手権では、出場権を持っている国以外で上位3国に入らないとならない。「こんなにステップが多いのかと。ぼく、割と心が強くないんで、すぐに不安になっちゃうし、ネガティブに考えてしまうんです。でも、チームのみんなが、いつも励ましてくれて。だから、ここまであきらめずにやってこれたんだと思います」
世界選手権でパリ大会出場を決定づけたのは、対イラン戦だった。「1対0で勝ってて、残り11秒くらいで、向こうのフリーキックになって、自分たちでクリアして、あっちの陣地の方にボールが行って、で『あっ、これ決まったわ』ってなって。で、その瞬間もうすごかったっすね。みんなピッチに飛び出してたし、僕も叫びまくって、すごいもみくちゃな感じだった」
音楽とブラサカ、二つの情熱
普段は故郷、長野県のクラブチーム「松本山雅B.F.C.」に所属しており、日本代表の練習があるときは、父親に付き添われて東京に通う多忙な日々だ。
サッカーに打ちこむかたわら、音楽の楽しみも必要だと言う。「サッカーだけだと、やっぱりしんどいときもあるんです。音楽は、ぼくにとってストレス発散、リフレッシュの場です。カラオケで歌ったり、バンドでライブをしたり。最近は、曲作りにも挑戦しています」
音楽で心を解放し、新たなエネルギーを充電している。
応援してくれる人に勝利を届けたい
そして、いよいよ迎えるパリパラリンピック。「やっぱり応援してくれる人のことを考えると奮い立つというか…」ためらいがちに言葉を選ぶが思いは強い。
「学校でポスター作ってくれたり壮行会開いてもらったりしました。SNSで応援の言葉をもらったり、友人も声をかけてくれて、メディアの方もすごく盛り上げてくれたりとか。山雅のサポーターさんたちの応援もすごく熱くて、こんないいところに所属させてもらってることが誇らしいというか…。それを考えると“やんないとな”って思います。絶対に勝利を届けたいって、強い気持ちになりますね」モチベーションは上がっている。
「やっぱり決勝点を決めたい。一人一人仕事がある中で僕はそういう仕事なんで。欲しいときに、ちゃんと点を取れるようにしたいなと思ってます」頼もしい言葉はまさにエースストライカーのそれだ。「パリでは、今までやってきたことをすべて出し切って、最高の舞台で戦いたい」
ブラインドサッカーのスタジアムはエッフェル塔の真下。世界中の観客の前で、ブラサカ界の韋駄天のゴールに注目だ。
取材・撮影/越智貴雄[カンパラプレス]