「生きて、生きて、生きろ。」

5月25日に公開されたドキュメンタリー映画「生きて、生きて、生きろ。」は東日本大震災や福島第一原発事故から13年が経ち、喪失と絶望に打ちのめされながらも日々を生きようとする人々や、彼らを支えるために奔走する南相馬市の精神科・蟻塚亮二先生と医療従事者たちの姿を追った作品です。

連日盛況が続いています。私は5月27日の上映後の島田陽磨監督とのアフタートークに出演させてもらいました。監督が私に質問する形で進められたトークは、蟻塚先生との出会いについてからはじまりました。

神田香織さん(右)と島田陽磨監督
神田香織さん(右)と島田陽磨監督
すべての画像を見る

私は結婚生活が破綻した1994年に娘2人を連れて実家のあるいわき市に出戻りました。そして長女の高校進学の都合で再び東京に戻るまでの8年半、いわき市を拠点に福島県内で公演を重ね、多くの方と知り合うことができました。

東京に戻ってから8年後、東日本大震災、原発事故が勃発。私はいわき市出身の友人たちとNPO法人「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」を立ち上げ、福島支援に乗り出しました。こうして再び福島の知人たちと連絡を取り合ったり、活動を共にしたりし始めたのです。

この頃、長女が精神的に不調をきたしており、ごく親しい福島の友人に相談したところ、南相馬市在住の、私もよく知っている方に電話を繋いでくれたのです。

その方は「震災後、鬱になってしまった娘が、蟻塚先生の手によって職場復帰できた。ぜひ診てもらった方がいい」と強く勧めてくれたのでした。

それが実現したのが2016年の4月のこと。翌月には「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」の講演会の講師を蟻塚先生にお願いしていたので、ご挨拶も兼ねたメールで娘の診察をお願いし、南相馬のメンタルクリニックなごみまで車で向かった次第でした。

初めてお会いした蟻塚先生は白衣ではなく普段着でした。とてもラフな方で、まるで前からの知り合いの様な雰囲気で長女の話を聞いてくれました。そして診察後にはハイタッチ。帰り際、長女は気持ちが明るくなったようでした。