恋愛よりも優先された“心の成長”
「バチェロレッテは『一人の女性を大勢の男性が取り合う』という筋書きの物語です。私は、リアリティショーは“体(てい)”で楽しむものだと思っていて、亜樹さんは完全無欠のバチェロレッテ、という体。出演者は亜樹さんのことが大好きで選ばれたいと望んでいる、という体。
この体裁を守らなければ、そもそも『大勢の男性が初対面の1人の女性を奪い合う』という無理のある設定が成立するわけないのです。
それなのに今回の参加者は、その覚悟が定まらないまま参加して、ショーの幕が開いた後も、自分の心ばかり気にしてる。その結果、『好きになれない』という結論になって途中離脱する参加者が相次いだのだと考えます」
今回の旅で、参加者男性が自分の悩みやトラウマに立ち向かうシーンが何度かあり、亜樹さんとの恋愛がそっちのけになる部分があった。そのためか、例え亜樹さんにフラれて帰国することになったとしても、悔しがるよりも“自分が成長出来て満足!”という顔になってしまっていたのだ。
もちろん、そんなドラマが作られることは悪いことではない。参加者の心の成長はあってしかるべきだ。
しかし、バチェロレッテにおいて参加者の心の成長は、あくまで亜樹さんとの恋愛を通して生まれる副産物であるべきであり、亜樹さんとの恋をないがしろにして、自分の心の成長に注力しては本末転倒だ。
「私はバチェロレッテを、参加男性の成長ストーリーではなくて、亜樹さんが愛を探す物語ととらえています。だから、バチェロレッテを愛せるか自信のない人たちがなぜかバリに集まり、勝手に気づきを得て満足そうな顔をして帰って行くのを見せられるのは、コレジャナイ感がありました。
亜樹さんとの恋愛に躊躇するような男性が何人かいましたが、武井亜樹という一人の人間と対等に向き合えるかどうかを真剣に考えるのは、ファイナルローズに選ばれてカメラのない場所で交際が始まってからで良かったんじゃないでしょうか。
番組が終わるまでは、コンセプト通り、亜樹さんという一人の女性を奪い合う姿、彼女に選ばれ続けようとあがく姿を、最後まで見せてほしかったです」
男性たちが無我夢中になって行動しないのは、視聴者の好感度を気にしすぎているせいとの指摘もある。これに関しては、SNSであーだーこーだといわれてしまう恋愛リアリティ番組すべてが抱える問題ともいえるだろう。
今回のシーズンで、番組の存続すら危ぶまれ始めたバチェラー・バチェロレッテだが、果たして制作陣に状況を打破する秘策はあるのだろうか。
取材・文/集英社オンライン編集部 サムネイル/『バチェロレッテ・ジャパン』公式Instagramより)