世界では主流となりつつある薬物注射による死刑執行

では、日本における死刑、また死刑執行とはどのようなものでしょうか。

まず、日本では重大な事件を幾つも起こした被告人に死刑を一度に二つ以上言い渡すことはできません。また、死刑と懲役刑を一緒に言い渡すこともできません。

死刑は最も重い、究極の刑罰。死刑と罰金刑や懲役刑は一緒に言い渡されないのです。ですから、死刑確定者は、刑に処せられた者を収容する刑務所ではなく、死刑が執行されるまで拘置所の単独室という一人部屋で過ごします。

現在、死刑執行は当日の朝に本人に伝えられています。アメリカでは数週間前には告知され、文字通りそこをデッドラインとして諸々の手続きが進んでいきますが、それとは対照的です。

日本でもかつてはもう少し前に伝えていて、最後の夜の食事を他の死刑確定者と囲むようなこともあったようですが、執行が日一日と迫ってくる状況は酷だとも考えられます。

日本で執行当日に告知するようになったのは、過去にその苦痛に耐えられなくなり自殺した人がいたから、ということのようです。

前述の通り、日本では死刑執行に絞首刑を採用しています。一方、アメリカでは現在、ほぼ全ての死刑執行が薬物注射によるものとなりました。

中国でも以前は絞首刑が採用されていましたが、急速に薬物注射が主流になってきていると聞きます。ただ、軍関係の場合は銃殺刑を用いることが多いようです。

アメリカでは当初は絞首刑のみでしたが、1890年に初めて電気椅子が導入され、1930年前後からは電気椅子が圧倒的に多くなりました。薬物注射が登場したのは82年。

これは絞首刑や電気椅子の場合、うまく執行できないリスクが付きまとい、死亡まで時間がかかることがあるので、できるだけスムーズに執行し、苦痛を少なくするためにと考えられたものです。

日本では、執行のための設備や器具、手順についての規定は、1873(明治6)年に頒布された太政官布告にある絞罪器械図式(図2)にさかのぼります。

太政官布告第65号「絞罪器械図式」より絞架全図。絞罪器械図式は、日本における死刑執行の際に使用される絞首台の図式で、1873(明治6)年2月20日に頒布された。
太政官布告第65号「絞罪器械図式」より絞架全図。絞罪器械図式は、日本における死刑執行の際に使用される絞首台の図式で、1873(明治6)年2月20日に頒布された。

現在ではこの図のように階段を上っていく形ではなく、平面上を進ませ踏み板を開いて落下させる地下絞架式が採用されていますが、これには法改正などの手続きは取られていません。

150年前の規定に基づく絞首刑の設備や手順

刑場には事前に依頼しておいた仏教、神道、キリスト教などの教誨師(きょうかいし)によって読経などが行われたり、遺書を書いたりする教誨室が隣接しています。

戦後すぐは各刑場に新聞記者が入って取材することが可能だったようで、私も1947年に『名古屋タイムズ』が名古屋刑務所の刑場を取材した記事と、同年の『アサヒグラフ』に掲載された広島刑務所の刑場に関する記事を確認しました。

また、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の検閲により公表禁止とされましたが、読売新聞が名古屋刑務所の刑場を取材して記事を作成しています。

67年には田中伊三次法務大臣が東京拘置所を視察し、記者に刑場を公開したとされています。

2010年に当時の千葉景子法務大臣が死刑執行に立ち合った後、報道機関に対して東京拘置所の刑場を公開しましたが、それ以降は全国に7カ所ある刑場のいずれも公開されていません。

執行に誰が立ち合うかは法律で決まっています。これは拘置所の所長や検察官、検察事務官などで、実際に死刑を執行する拘置所の刑務官も含まれます。

法的に正当な裏付けがあるとはいえ、刑務官の方たちには人を殺すという、非常に重い仕事をお願いしていることになります。

ならば、この方たちにどのような待遇をし、どのようなケアを行うかについて、もっときちんと考えなくてはならないはずですが、そもそも議論の叩き台となる情報が何も開示されていない。これは大変な問題だと思います。