大田ステファニー歓人さん(右)、豊崎由美さん(左)
大田ステファニー歓人さん(右)、豊崎由美さん(左)
すべての画像を見る

みどりいせき
著者:大田 ステファニー 歓人
定価:1,870円(10%税込)

みどりいせき
著者:大田 ステファニー 歓人
定価:1,870円(10%税込)

購入する
電子版を購入する
試し読み

このほど、すばる文学賞を受賞してデビューした大田ステファニー歓人氏の『みどりいせき』が、第三十七回三島由紀夫賞に輝いた。

すばる文学賞の選考会で「文学の地平を切り拓いた」と高い評価を受けた本作品について、三島賞選考委員の松家氏は記者会見で「ジョイスやフォークナーがやっていたこと(文体実験)を大田さんなりに実現させてしまった」と紹介。そのひりつくような青春の物語は多くの人を魅了し、作家自身の真摯な発言やぶれない態度は支持を集め続けている。

『みどりいせき』に早くから注目してきた書評家の豊崎由美氏(「ざき」はたつさき)が作家と出会い、その誕生を寿いだ今年三月のジュンク堂書店池袋本店でのトークイベントを、再構成して載録する。

構成/長瀬海 撮影/隼田大輔

抑え付けてくる学校が嫌だ

豊崎 『みどりいせき』を読んで以来、作者の大田ステファニー歓人さんってどんな方なのかな、と興味津々でした。まずはお名前のことから伺ってもいいですか? これはペンネームですよね。どういう由来なのでしょう?

大田 そうっすね、実はすばる文学賞には本名で応募しようとしてたんですけど、変えました。「大田」はパートナーの苗字なんですよ。ちょうどその頃、結婚することになってたんで、彼女の苗字なくなっちゃうの悲しいなって考えて、それをもらった感じです。ステファニーは名前のステファノを可愛くしたくて変えた、って感じです。

豊崎 そうだったんですね。不思議なお名前だなぁと思ってました。少しだけ小さい頃のお話も聞かせてください。すばる文学賞の受賞者インタビューでお父さんが変わった人だって話してましたね。昔よく紙芝居を即興で語り聴かせてくれてたって。

大田 親父はチャリで街を徘徊するタイプの人だから、いろんな図書館を知ってたんです。子どもの頃は絵本の多い図書館によく連れて行ってくれたり、既製の紙芝居を使いながら、でも普通に読むこともあれば、裏に書いてある文章を読まずに自分で物語を作って聴かせてくれたり。
 

豊崎 お父さんは本を読む人だったんですか?

大田 本はめっちゃいっぱい家にありました。親父はクリスチャンでアクティビストだから政治色とか思想が強めの本棚で、小説といってもドストエフスキーとか遠藤周作とか、子どもにはちょっと難しいキリスト教文学作品ばっかりでした。親の持ってた本で自分が読めたのは百科事典とか『水木しげるの妖怪図鑑』とか、そういうのだけで。

豊崎 自ら活字の本を読み始めたのは何歳くらいからでしたか?

大田 うーん、何歳くらいだろう。小学校の図書館ではいっぱい本を借りてたっすね。すごく綺麗な図書館で、くつろぎやすいし、子どももとっつきやすい本がたくさんあったんですよ。インタラクティブな絵本や『かいけつゾロリ』とかを経て、活字だけの本では『三国志』を読んだ記憶があります。あとは漫画も充実してて、『はだしのゲン』や『漂流教室』を読みました。めっちゃ怖くて、トラウマだったっす。小学校はいい学校でしたね。中学校、高校はあんま好きじゃなかったけど。

豊崎 中学校、高校が好きじゃないっていうのは今回の小説にもつながるお話ですね。やっぱり学校という空間が性に合わなかったんですか?

大田 親の教育とは反対な場所だったのかもしれないっすね。うちはあんまり抑え付けるタイプの親じゃなかったんですよ。もちろん妹をいじめたり、行儀の悪いことをしたら叱ってはきますけど、基本的にはそんなに干渉する感じじゃなくて。

でも先生って、授業中に立ち上がったら座らせようとするし、喋ってたら黙らせようとするじゃないですか。なんで? って思っちゃうんですよ。生きてたら立つし喋んだろ、みたいな。なのに、周りの生徒たちはみんな言うこと聞いてて、反発してるのは自分だけ。先生もムカつくけど、そんな自分を変な目で見てくる同級生にもしんどさを感じてました。言うこと聞いておけばいいじゃんみたいな空気がすごく嫌でしたね。

豊崎 その気持ちはよくわかります。実は私も多動性気味なところがあって、授業中しょっちゅう席を立ってました。ただ私の先生はそんな嫌な感じの人じゃなかったから、私のことを叱りつけることはしなかったんですよ。代わりに何をするかというとね、定規で優しく頭を押さえてくれるんです。

教壇の一番前が私の指定席だったんですが、私がモゾモゾっと立ち上がろうとすると長い定規でそーっと(笑)。そうされるとこっちは「あっ、ダメなんだ」って気づくわけ。すぐ動いちゃう子どもって別に動きたくて動いてるわけじゃないんですよね。

いつの間にか立ち上がっちゃうだけで。だから先生が怒らずに注意してくれれば、ちゃんとわかる。大田さんの場合は、家族といるときは何も言われなかったのに、中学校に上がった途端にあれもダメ、これもダメって怒られるのが疑問で仕方なかったんでしょうね。

大田 そのショックで学校が嫌になったんだと思います。一度嫌になったら、ちゃんとしようって気持ちが一切なくなっちゃいました。あれが人生の転換点だったのかもしんないっすね。でも、大学に入って、ある先生が自分の授業はご飯食べたり歌ったり立ち歩いたりしていいから過ごしやすい格好で好きに受けてくださいって言ってて、その感じは好きでした。

「作家誕生」大田ステファニー歓人×豊崎由美『みどりいせき』_3

大田ステファニー歓人、言葉と出会う

豊崎 大学と言えば、大田さん、日本映画大学に通っていらして、そこで関川夏央さんと出会ったことが自分にとって大きかったとインタビューで語ってらっしゃいますよね。

大田 関川さんも俺が立ち歩いたりしても何も言ってこない人でした。だから授業の雰囲気も良くて過ごしやすかったですね。もちろん文章の細かい指導もしてくれる人なんですけど、概ね自由に書かせてくれたし、何より書いた文章を否定しないでくれたのがありがたかったっす。何書いてんだお前は、みたいなリアクションもありつつ、でも、こういうところを書こうとする気持ちが偉い、みたいに書く姿勢を褒めてくれたりして。

豊崎 いい先生ですね。今回の受賞はお知らせしました?

大田 メールはしました。そしたら「おめでとう。『すばる』に掲載されたら読んでみます」って返事をくれたんですけど、関川さんに読まれるって思ったらすげえ怖くなってそのメールまだ返信してない(笑)。

豊崎 怖くなっちゃったんだ(笑)。でも、関川さんは大学生だったときの大田さんの文章を評価してくれてるわけだから、『みどりいせき』もきっと何かしらいいリアクションしてくれるんじゃないですか? それに関川さんからだったら何を言われてもいいじゃないですか。一度、自分のことを理解してくれた人がちゃんと読んで批判なり賞賛なり、反応をくれるわけだから、それはそれでまた一つの栄養になるわけだし。

大田 まさしくそうっすね。メール返してみようかな(笑)。

豊崎 関川さん以外に、大田さんが小説を書くに至るまでの大きな栄養源となった人や作品って他に何かありますか?

大田 音楽は小さい頃からずっと自分のなかに流れてた気がします。中学のときはブルーハーツやビートルズがめっちゃ好きでした。さっき学校が嫌だったって話しましたけど、ビートルズとブルーハーツがあったから生きながらえることができたっていうか。

ブルーハーツのヒロトがブラックミュージックに精通してたのもあって、高校に上がってからはR&Bとかソウルの路線もディグりながらヒップホップを好きになっていきました。もちろんハイロウズやクロマニヨンズも聴きまくったし、その流れでパンクをディグったりもしましたね。

映画は六〇年代、七〇年代のアメリカン・ニューシネマを観てました。あの時代ってカウンターカルチャーだから、学校と折り合いのつかなくなっていた自分としては反抗的な登場人物にめっちゃ共感できて。ああいった反体制的な作品が支えになっていたんだと思います。だから大学でも映画を学ぼうと考えたし。そこらへんの精神が自分の核を作っていったような気はしますね。

豊崎 小説はどうですか? 何か影響を受けた作品があります?

大田 さっき音楽でパンクを好きになったって言ったんですけど、町田康さんのINUを聴いてたんですよ。小説も書いてるって知って、『パンク侍、斬られて候』を読みました。江戸時代の話なのにセックス・ピストルズとかボブ・マーリーが出てくるのがすごい衝撃的で。

中学生だからもろに影響受けましたね。『くっすん大黒』もすごく面白かったんですけど、よく考えればあの作品を読んだのは大学に入ってからだった気がします。『パンク侍、斬られて候』には単純に文字を読む喜びを教えてもらいました。

豊崎 町田康さんは今も『ギケイキ』のシリーズを書いてますけど、時代小説の枠組みを借りながら現代の言葉遣いで語らせてたりして、純文学としての自由度が素晴らしく高い小説家ですよね。エンタメの時代小説とか読んでると「〜でござる」みたいな物言いを目にすることがよくあるんですが、本当にそんな喋り方だったのかなって考えちゃうんですよ。時代小説家の方々はさも当時の話し言葉だったかのように書いてますけど、私はああいうのは「なんちゃってござる」だと思ってます。

その点、町田康さんは全くそのルールに従おうとしないのがいいですよね。あくまでも江戸時代は小説の設定だけで、現代性を失わない。だから登場人物には現代の言葉を持たせるし、ガジェットも現代風のものを書き込む。登場人物にブランド品を持たせたり、セックス・ピストルズの音楽を聴かせたりしてね。あれは確かに斬新ですよね。

大田 マジですごかったっすね。学校の代わりになる面白いものを探してる時期にあの作品に出会って、当時の持て余してた時間を埋めてくれました。言葉を追うのがいちいち楽しかったのを覚えてます。