実態のない「障害者就労支援」
JRと南海電車が走る新今宮駅の周辺は、「ドヤ」と呼ばれる日雇い労働者向けの簡易宿泊所が立ち並ぶ。あいりん地区が目と鼻の先にあるこの街の外れに、生活保護受給者が多く住む集合住宅がある。
決して綺麗とはいえない建物の中に入ると、訪問介護や訪問看護を行っている介護事業所B社と、障害者の就労支援を行う一般社団法人の事務所が同居している。この両法人で訪問介護や看護、障害者の就労支援やグループホームなども運営しているのだ。取材当時、スタッフは合計して約20名で、どちらの法人も同じ60代の女性が社長を務めていた。
同法人の内情をよく知る関係者はこう話す。
「障害者支援事業では、ブックオフで売る古着に、値札のタグをつける軽作業を行っています。就労時間になると、利用者は自分の部屋から1階の作業所に集まり、入り口で出席確認の印鑑を押して就労します。ところが、印鑑だけ押して実際には就労していない人がいる。社長からハンコだけ押せばいいと言われているというのです」
その一人が施設利用者である乾大介さん(仮名)。第三章(編注:同書 第三章「ゴキブリだらけの部屋で老人を飼い殺す」)で紹介した、劣悪な環境の部屋で暮らす人物である。尼崎出身の乾さんには家族がおらず、幼少期から社会福祉施設で育った。職を転々とし、大阪の天満に住んでいた15年ほど前までは、駅のホームで清掃員として働いた。後に知人を通じて訪問介護や訪問看護の事業を行っているB社の社長と知り合い、ある時、こう言われたという。
「介護の資格を取らせてあげるから、訪問ヘルパーとして働いて、将来はうちの利用者になってな」
乾さんは清掃員を辞め、B社のスタッフとして働くことになった。そして社長の言葉通り、数年前に障害者手帳が交付されると、今度は同社の利用者となったのだ。
B社の内部資料「訓練等給付費等明細書」によれば、同社は乾さんの就労支援をしたことで、月に約26万円の給付を大阪市から受けていたこともあった。その中から報酬として、就労者に1万円から1万5,000円ほどが支払われる仕組みだ。