ヴァン・ヘイレンのギャラは150万ドル(当時約3億6千万円)
“To combine Music, Technology & People”がテーマだったこのフェスは、「私たち(US)は歌で結束しよう!」という想いから名付けられた。フェスの関係者曰く「営利目的のイベントって雰囲気は全然しなかった」
スポンサー広告を排除したクールな装飾(なぜならウォズ個人が唯一の資金源だったからだ)、最新のサウンドシステム、巨大なステージ設営やヴィジョン設置(現在のフェスの原型)。
会場には湖もあり、キャンプもできる。飲食の売店やトイレの設備をはじめ、警備は3000人にも及び、暑さ対策までもスプリンクラーを何基も用意して拘った。コンピュータの部品を展示するテクノロジーフェアの一角は、ウォズのエンジニアとしてのプライドだったのかもしれない。
そして何よりも豪華な出演アーティストのラインナップは、地元の若者たちへのアンケートやヒアリングで決めたという。
1983年では、トリで登場したヴァン・ヘイレンのギャラは150万ドル(当時約3億6千万円)でギネス記録にもなった。ウォズは自らが史上最高額のギャラを払ってしまったことを、後になってから気付いたらしい。
さらにはMTVでフェスの模様を生番組として放映し(83年の模様は日本でも特番で放送されたほど話題になった)、衛星放送で当時最悪な冷戦関係にあったアメリカ合衆国とソビエト連邦が中継で結ばれるという画期的なことも成し遂げた。