「あんなことはもう二度とごめんだ」
フェスの運営会社を設立するため、準備金として200万ドルの小切手を仲間に手渡した2週間後。ウォズは1969年に開催された伝説的なウッドストック・フェスティバルに関する本を開いてみた。
そこにはスタッフの確保、数十万人を収容する必要がある広大な場所探し、気まぐれなアーティストサイドとの交渉、面倒な広報の件。さらには想像以上の費用が掛かること、そして絶対的に儲からない件……のちにウォズ自身が直面することになる出来事が書きつらねてあった。
ページをめくるにつれ、自分が今どれだけ大変なことに手を出してしまったか、思わず息をのんで後悔したという。
しかも助けを求めた当時の関係者からは、「あんなことはもう二度とごめんだ」と断られる始末。一人で好きなようにできるコンピュータの設計世界との違いを痛感した。
「あの本を先に読んでいたら、あんなことは絶対にやろうとは思わなかった(笑)。でも僕らは何とかやり遂げた。お金は僕が出した。僕は仲間を信じていた。やるって決めんたんだ。いったんやるって言ったら放り出しちゃいけない。逃げたりしない」
こうしたウォズの粘り強いエンジニアとしての美学に助けられながら、大物プロモーターのビル・グラハムも巻き込んで史上最大規模のロックフェスとなった『US FESTIVAL』(アース・フェスティバル)は、カリフォルニア州サンバーナーディーノの広大な面積を誇る郡立公園を会場にして開催された(1982年9月と1983年5月末〜の2回)。