「バカヤロー」など、口語体の日本語で大ヒットしたデビュー曲
丸山明宏はシャンソンからエルヴィス・プレスリーまで歌っていたが、人気に火がついてヒットしたのは、港町の娼婦を歌った『メケ・メケ』だ。
長崎から上京して国立音大付属高校に入った丸山明宏は、わずか二学期で退学。同性愛者の集まる銀座の喫茶店やクラブでアルバイトしながら、シャンソンを歌い始めた異端児だった。
自らの手で日本語に訳して歌詞を付けた『メケ・メケ』には、その尋常ではない才能が早くも表出している。
船乗りと港の女に起きた別れの修羅場を題材にしたシャンソンの原詩は、「男が悲しむ娘の姿を知り、海に飛び込んで恋人の元に引き返す」というハッピーエンドの物語だった。
しかし、丸山明宏は大胆な解釈で、アンハッピーエンドに変えて歌っていた。
しかも歌詞からは「バカヤロー」など、日本の”お上品”なシャンソンにはあるまじき言葉が飛び出してきた。
それまでのかしこまった文語調や、品のある詩的な歌詞とは異質な、綺麗事ではないリアリティ、庶民の生活に根ざした口語体の日本語だった。それは笠置シヅ子の『東京ブギウギ』以来の、日本語による斬新なビート感覚だった。
日本にロックンロールが上陸してロカビリーブームが巻き起こり、口語体による日本語の歌詞をビートに乗せた最初のオリジナルソングで、水原弘が歌った『黒い花びら』が誕生するのは1959年の夏。
22歳の丸山明宏のデビューシングル『メケ・メケ』は、それに2年も先行していたのである。